結果的に、日本語の周波数は、主に125~1500Hz(ヘルツ)に対し、英語の周波数は、750~1万2000Hzで、英語は日本語よりはるかに高周波、つまり、マスクによって遮られやすいということになります。
マスクをすると発声もしづらいし、聞き取りづらいわけですが、英語ほどはひどくはない、ということなのかもしれません。
4つめが、マスクというものの「シンボリックなとらえ方」です。
アメリカでは、とくに保守派を中心に、「マスクをつける人は権威に盲従する『羊』であり、マスクはイスラムの女性が着用する『ブルカ』のようなもの」ととらえられています。
秘密主義、不信感、貴族的な変装を連想させ、「自由への抑圧の象徴」と考えられているのです。
一方で、日本では、「マスクは、目に見えない脅威や不確実性をコントロールできるという感覚を着用者に与える」(堀井光俊・秀明大学教授の論文「なぜ、日本人は仮面をつけるのか」より引用)もので、「ライナスの毛布」のような「心理的安全性を覚えさせるアイテム」ということになります。
実際に、20世紀初頭のスペイン風邪の流行の際に、アメリカでは、抵抗が大きかったものの、「日本の一般市民は抵抗なくマスク着用を受け入れた」(同)のだそうです。
5つめが、「慣れ」と「信頼感」です。
日本人の国民病ともいわれる「花粉症」ですが、この防止に効果があるとして、マスクはもともと広く使われてきました。新型コロナの感染防止にも効果を発揮し、世界と比べても、死者の数は大きく抑えることができたわけです。
こうした「慣れ」と「信頼感」は、もはや日本人のDNAに刷り込まれていると言ってもいいでしょう。
そして、6つめが、日本の“お家芸”である「ザ・同調圧力」です。
マスクは必要ないはずの屋外でもなかなか外せないのは、「マスクをしなければどう思われるだろう」「白い目で見られるのでは」という「過剰な自意識」が働いてしまうことも一因でしょう。
どうしても、ほかの人の行動に自分を合わせてしまう。この日本独特の「見えない圧力」に逆らうのは容易なことではありません。
これらの複層的な理由から、日本人が「マスク信仰」から解き放たれることは容易ではなそうです。
「メリットとデメリット」「リスクとベネフィット」を勘案したうえで、「外す自由」と「つける自由」をどのように担保し、どうやって、日常生活を取り戻していくのか。これから議論が必要になってくることでしょう。