英国教授が「世界の停滞は良いこと」と言う深い訳

ところが、列車はいまも止まることなく走っているので、まわりにいる人たちは、まだ加速は続く、つまり変化のペースは増すと口々に話している。しかし現実には、列車がこれ以上スピードを上げることはもうない。何かが変わっている。車窓から見える景色の流れは緩やかになっている。あらゆることがスローダウンしている。1つの時代が終わろうとしているのだ。

最近の世代で進んだ「大加速化」は、私たちが暮らす文化をつくりだした。そしてそこから、進歩に対する独特の考え方が生まれた。ここでいう「私たち」とは、いま地球上で暮らしている高齢者の大多数のことだ。それは、健康状態や住居、職場の環境が親や祖父母の世代よりもおおむねよくなった人たちであり、教育を受ける機会が広がった人たちであり、生きている間に絶対的貧困も困窮も減少した人たちである。

そして、子どもの世代はいまの自分たちよりずっといい暮らしをするようにはならないと考えるようになっている人たち、そう、スローダウンという新しい流れを感じ取っている人たちである。

スローダウンが進むと、さまざまなことが大加速化が起こる前には当たり前だった状態に戻っていくだろう。1つ例をあげると、物価は世界規模で安定するようになると考えられる。将来、物価がいまよりも安定するのであれば、インフレを起こす必要はない。私たちのひ孫は、60歳になったときのビールの値段が21歳になったばかりのときの値段と同じかもしれない。

そんな世界では、「投資」で簡単に大金を稼ぐことはできなくなっているに違いない。過去に投資で稼げたのは、その後に人口が増えたことが大きい。たとえば、私は将来値上がりすると見込んで、借金して家を建てていたとしよう。だが、その後に人口が減ってしまうと、家が値上がりすることはたぶんない。

投機は完全に失敗するだろう。私が将来、投資で大もうけすることはない。しかし、ほかの人が食い物にされることもない。ここはきわめて重要な点だ。

格差社会もなくなる

人口の減速が始まると、深刻な経済格差も続かなくなる。人口が収縮し高齢化していけば、お金を稼ぐのはいまよりずっと難しくなる。さらに、物事が変化しなくなるので、人は賢くもなるだろうし、どんどん複雑になる「最先端」で「最新」の消費財を次々に投入して、消費者をカモにするのも難しくなるかもしれない。技術革新がスローダウンすると、新しく生み出される革新的なモノやサービスが減ることになるのだとしたら、なおさらだ。

社会、経済、政治、人口動態の変化が加速すれば、市場は拡大し続ける。ただそれだけの理由でうまくいった販売戦術は、スローダウンが始まると、以前のような利益を生み出さなくなるだろう。スローダウン後は特にそうだ。ハイテク企業が毎日投入する広告が大幅に増えているのには、そういった理由もある。

私たち全員が集団として賢くなるので、それほど必要のない商品――これが必要なんだと思い込まされるかもしれないが、手に入れてもウェルビーイングは高まらない商品を売る会社は、ますます必死になっている。

停滞は悪だと考えるのはやめなければならない。スローダウンが進むということは、学校も、職場も、病院も、公園も、大学も、娯楽も、家庭も停滞するということだ。過去6世代と違って、世代が代わるたびに変容していくことはもうない。モノを長く使うようになって、ゴミが減る。

私たちは安定へと向かっている

過去数世代には、大きな進歩があったが、大きな苦難もあった。史上最悪の犠牲者を出した戦争があり、ジェノサイドがあり、人類を滅亡させる核戦争の計画・基地建設を含む、卑劣きわまりない蛮行があった。

私たちはいま、発見が減り、新しいデバイスが減り、「ヒーロー」が減る未来に直面している。しかし、それを受け入れるにはかなり時間がかかるだろう。だが、これはそんなにつらいことなのだろうか。独裁者も減るし、破壊も、極度の貧困も減る。

スローダウンは歴史の終わりでも、救いの到来でもない。ユートピアに向かっているわけではないが、ほとんどの人の生活はよくなるだろう。住まいも教育も改善し、過酷な仕事も減る。私たちは安定へと向かっている。

変化のない安定した状態は少し退屈かもしれないが、いまはっきりと言えるのは、スローダウンは始まっているということだけだ。それもしばらく前に始まっている。