マネジメントをする立場の人は、メンバーの先にいる人の存在に想いを馳せることです。メンバーが既婚者で子どもがいる家庭を持っているのであれば、家族のことまで考えるようになると、専門性を発揮していく環境に多様性が生まれ、活躍しやすい環境にどんどんなっていくはずです。
信頼関係を深めていく際に、とても大切にしたいものがあります。それは「わざわざ」というものです。しかも、「わざわざ喜んで」「わざわざ自分勝手に」という感じの動きであれば、普通は行われない「自分らしい動きのプラスα」になっていくわけです。わざわざやればやるほど、その人の行動の蓄積は自分らしさが磨かれ、際立っていき、信用貯金が積み上がっていきます。
もらったメールの内容に、「わざわざ」自分のためを思って書いてある一文が添えられていた。メールやチャットで済ませられるのに、「わざわざ」電話をかけてきてくれた。「わざわざ」手紙を書いてきてくれた。郵送すればよい届け物を、「わざわざ」持ってきてくれた。オンライン会議でも済ませられるのに、「わざわざ」会いに来てくれた。
そういったことをされた側としては、「申し訳ないな」という気持ちと同時に、ありがたい気持ちになります。
「わざわざ」には、その人のために時間を使って調べたり、考えたり、動いたりした軌跡があります。その軌跡がわかると、その人に対して、好意や信用が生まれるのは間違いありません。
自分らしい「わざわざ」を、「効率化」などという言葉に惑わされることなくどんどんやっていくと、自分らしさが磨かれ、人間関係も深まり、そして広がり、仕事も生活もさらに充実していくのではないでしょうか。
「愛とはお互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである」。これはサン・テグジュペリの『人間の大地』という著書に出てくるフレーズです。これからの時代は「共創型」の取り組みが重要視されるといわれています。企業はお客様と向き合うのではなく、共に同じ方向を向いて歩くことで、豊かさを生み出していきます。
これまでは、「お客様の意見に耳を傾けて、商品やサービスをつくる」という形がよいとされてきました。もしくは、商品・サービスをつくっている本人たちがユーザーでもあるので、よい商品・サービスを追求するという状態が生まれていました。そのさらに発展形の「お客様が参加しながら」商品・サービスが生まれたり改良されたりしていく「共創型」が徐々に増え始め、その流れは勢いを増しています。
会社が「なぜ、この世に存在しているのか」といった存在意義、つまり、「社会や未来をどうしていきたいのか」「社員の人と共に目指していく世界は何か」ということがパーパスとして言葉化されている会社は、共創型の採用活動がしやすくなります。
これから入社する学生にとっても、自分が向かっていきたい方向を向いている会社なのかどうかがわかりやすくなるからです。そして、「共に同じ方向を向いて歩いていくこと」が直観される状態であれば、そこに愛が生まれます。会社にも、採用候補者にも、運命的な出会いとコミットメントが生まれるのです。
「誰かや何かに合わせるのではなく、自分らしい生き方をしたい」。それではダメなのですか、ということを耳にすることがあります。「自分らしい生き方」はとてもよいことだと心から思います。
その「自分らしさ」をいかに社会や未来に役立てていくのかが自分自身でも見えて、それが周囲に伝わりだしたときに、「一緒にやっていきたい」と同じ方向を向いて歩きたいと思ってくれる人も現れます。
「共に同じ方向を向いて歩いていきたい」と思える人と出会える。「共に同じ方向を向いて歩いていきたい」と思ってくれる人に出会える。お互いが宝物のような存在になれる。それが、仕事に一生懸命になれた人へのご褒美なのかもしれません。