SNSやブログなどで、恋人がいるという事実を明言はしないものの、手をつないでいる写真などを投稿することで、交際を間接的に匂わせる。こうした恋愛関係のシーンでよく活用されます。アピールしすぎもマズいから、煙幕を張りながらさり気なく自慢する。そんな状況下で編み出された投稿の形態が、こうした「匂わせ」なのです。
SNSによって増幅された「承認欲求」と「周囲への忖度意識」。その中で葛藤する自意識。これが、今どきの若者を理解しにくくしているものの正体です。なんだかとても複雑で、やや気の毒な気もしてきます。
安易に、そして派手に、褒めればいいというものじゃない。そんな若者の価値観に近づけたとして、じゃ、どうやって褒めればいいのかという問題に直面します。
オトナの中でも上のほうのオジサンたちは、この「しょっちゅう褒めてたら効き目がなくなるでしょ」という言葉を、驚くほどよく口にします。ここぞの時の必殺技。オトナ世代はこうした昭和の褒め方に、少なからずノスタルジーを感じるんじゃないでしょうか。
一方で若者の脳内には、こんな気持ちが渦巻いています。こう聞くと一理ありますよね。確かに、職場には不機嫌な顔をして働いているオトナ世代がけっこうたくさんいます。「人間の最大の罪は不機嫌である」とは、かのゲーテの名言ですが、いくら真剣に仕事に向き合っていたとしても、眉間に皺を寄せて愛想がないのは考えものでしょう。
しかし、こうした反応がないことに関する不満も、SNSコミュニケーションの発達による影響の一側面といえます。SNSでは、自分が何か投稿すれば、どんなささいな内容でも何件かレスポンスがあるというのが普通。逆にレスポンスがなかったりしたら、彼らは言い知れぬ不安に襲われます。何かおかしな投稿をした? まわりに変なふうに思われてない? そんな気持ちが増幅していきます。だからこそ、逆に友達の投稿にほぼ自動的に「いいね!」を押すのです。
「いいね!」を押し合うのは、言ってみれば礼儀作法。こうして「いいね!」社交界が形成され、友達に忖度した「いいね!」が激増し、結果的に「いいね!」がばらまかれます。そんな「いいね!」でも、やっぱり「いいね!」がほしい。これも若者の性です。
友達の投稿に無心で「いいね!」を押す。SNSというオンライン社会の習慣を、彼らは職場にも持ち込みます。なにかにつけて「いいね!」がデフォルト。だからこそ、職場においても「日常のプチ褒め」が求められるのです。
オトナ世代の褒めは「ベタ褒め×少量」ですが、SNS社会を生きる若者世代では「プチ褒め×大量」のほうがスタンダードなのです。
今どきの若者がよく言うのは「身内でさっくり褒めてくれればいいっす」的なコメントです。部署内のミーティング、もっというと一対一の面談なんかで、サラリと褒める。メールやチャットツールで褒めメッセージを送るのでもいい。なんか地味ですが、こういう感じが、じわじわ承認欲求が満たされるようです。若者が望んでいる褒め方とは「質より量」。至ってシンプルなんです。
もっと言うと、褒めに至らないくらいの「プチ感謝」も、レスがあるだけで十分に効果的です。例えば、報連相には必ず「ちょい足し」して返す。言葉はなんでも構いません。「良くなったな」と褒めてもいいし、「大変だったろう」と共感してもいいし、「助かったよ」と感謝を伝えてもいいでしょう。
最後に、褒めるときに使える魔法のキーワードをお伝えしましょう。それは「やっぱり」。例えば「やっぱり、やると思ってた」と、「やっぱり」がつくことで、相手は「えっ、普段からそう思ってくれてた?」と、嬉しい気持ちが倍増します。
普段からちゃんと自分のことを見ていてくれた。これが承認欲求を満たす褒めの本質的なポイント。「やっぱり」には、そのエッセンスが凝縮されているのです。これは若手にも刺さるのです。