小説「ペスト」、感染症で人が狂う姿が今と似る訳

高橋:はい。2020年はちょうど終戦から75年です。そういうわけでここのところ、頭が半分明治から戦後のことしか考えてないので不思議と既視感が強いんです。コロナ禍で起こっていることにあんまり驚かないのは文学史的ワクチンを打っているからかも(笑)。

斎藤:ワクチン済みの人にとって、コロナ禍はすでに見慣れた風景なわけだ。

高橋:これまで斎藤さんと雑誌「SIGHT」で「ブック・オブ・ザ・イヤー」の対談をしてきて、毎回、まだ下り坂ですねって話をしてきたじゃないですか。

斎藤:そうですね、しましたね。

高橋:2020年のパンデミックは、最後のとどめのように出てきたっていう感じがします。今のところ100年前に世界的に流行したスペイン風邪よりひどくないんだけど、危機感はあるんだよね。

斎藤:有事の感じ。感染症が突然、意識化されたんですよね。

高橋:そこがおもしろいところだよね。その初期段階にカミュの『ペスト』が読まれました。

斎藤:急に売れだしたので、4月頃は書店の店頭にもなかったし、ネットでも品切れで手に入らなかった。累計で125万部ぐらいなんでしょう? すごい感染力。

以前読んだときは、ペストはある種の不条理な状況、ファシズムとか戦争とかのメタファーだと思ってた。哲学的な小説という印象だったんだけど、今読むと象徴でも暗喩でもなく完全にリアリズム。ど真ん中の話なんで驚きました。お医者さんが主人公ですしね。

高橋:ぼくも以前は「ペスト」は戦争の象徴かなと思っていました。けれど、今読むと全然違って読むことができます。それが優れた作品の特徴だとも言えますね。まず、すごく正確に感染症について書いています。

それからもうひとつ、まったく読めていなかったことがありました。人びとを汚染させるものはぼくたちの口から出ている「言葉」だという、医師リウーではなく、もう1人の主人公・よそ者タルーの嘆きです。おそらく、これがカミュのいちばん書きたかったことだと思うんですよ。本当はもっと早く気がつくべきだったんですが。

カミュは、中立的な日刊紙「コンバ」の編集長でした。保守もコミュニストもともに戦ったレジスタンスも、戦争が終わった途端に激しい内部対立に晒されます。ご存じのように思想的な対立は内輪ほど激しいし、左派はものすごく激しく内部闘争をします。

そんな中で、左右どちらにも属さないカミュは徹底的に批判された。それは、言葉による激しい批判、闘争でした。時には、まったく根拠のない誹謗も投げかけられた。そうやって、言葉による「汚染」が進んでいった。

『ペスト』は感染症によって何が引き起こされるのかを描きながら、そのことで、いろいろなものを想像できるように書いています。カミュは、ほぼ同時期に『異邦人』(1942/新潮文庫他)も構想してるんですが、あちらが個人の言葉の問題とするなら、政治の言葉の致死性を描こうとしたのが『ペスト』だと思います。言葉が人びとを汚染させて人びとの紐帯を破壊してゆく。あっという間に炎上していくところなんか、SNSそのものですよね。

SNSは感染症の世界に似ている

斎藤:不確かな情報が氾濫するインフォデミックという言葉もあります。

高橋:SNSって、ほんとに感染症の世界に似ている。Twitterの実効再生産数3.0とかね(笑)。

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斎藤:言葉の感染力のほうが強力かもしれない。

高橋:コロナ禍の初期の段階でカミュの『ペスト』が読まれたのは、みんなに「あれだ!」という直感があったからでしょう。

斎藤:思い出した人は多いでしょうね。政治家の危機感の薄さとか、ロックダウンされた町がどうなるのかとか、死者を葬る場所もなくなるとか、ディテールがあまりにもリアルすぎて驚きましたね。リアリズム小説だったんだ、すいませんでした! みたいな。

高橋:舞台が当時フランスの植民地だったアルジェリアっていうところもね。本国じゃないから封鎖しちゃえばいいんじゃない、って見捨ててしまう。

第1回:21歳で芥川賞「宇佐見りん」だから描ける独特世界(3月26日配信)

(第3回に続く)