能力の低い人ほど「自分を過大評価しがち」な理由

欧米はよくほめるがしつけに厳しい社会

自己肯定感がみるからに高いアメリカ人の真似をしてほめて育てるやり方を取り入れた。にもかかわらず、日本人の自己肯定感が一向に高まらないどころか、むしろ自分の衝動をコントロールできず、傷つきやすく心が折れやすい子どもや若者が増えている──その背景には、父性原理の強い社会と母性原理の強い社会という文化の違いも関係しています。

欧米のように子どもを厳しく鍛える父性原理の強い文化においてほめるのと、日本のように子どもに甘い母性原理の強い文化においてほめるのでは、ほめることの効果がまったく異なってくるからです。

それなのに、そうした文化的背景の違いを考慮せずに、「アメリカは進んでいる」「日本は遅れている」「日本もアメリカのようにすべきだ」などと、欧米コンプレックスに突き動かされて、ほめて育てるということをしてしまったのです。

欧米では、小学校1年生から実力が不足していれば留年させますが、日本では、高校生や大学生ですら「みんなと一緒に進級できないとかわいそう」ということで、実力不足でも単位を与えて進級させてしまうことがあります。日本で小学生でも実力不足だったら留年させるなどと言ったら、「そんなのはかわいそうすぎる」と猛反対されるでしょう。

欧米では、親子といえども個としてきちんと切り離されており、乳児の頃から親子別室で寝ますが、日本では、乳児どころか小学生になっても親子が一緒に寝ることもあるほど親子が分離されず、密着しています。

ゆえに、欧米では、わが子であっても幼児と一緒に入浴すると幼児虐待として通報されてしまいますが、日本ではわが子が幼児どころか小学生になって一緒に入浴してもとくに異常とはみなされません。

欧米では、まだ分別のつかない子どもを親は厳しくしつける義務があるため、子どもに対して親は権威をもたねばならず、子は親に絶対的に従わなければいけません。一方、日本では、子どもが言うことを聞かないと親が子に「お願いだから言うことを聞いてちょうだい」とお願いしたり、「明日はちゃんと食べるよね」と譲歩したりしてしまいます。親は子どもに対して権威をもって接しているとはいえません。

そうした文化の違いを無視して、ほめるということだけ取り入れた結果、ほめるばかりで厳しく鍛える機能が欠如した社会が2000年代以降の日本に出現してしまったのです。

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欧米のように親子が心理的に切り離され、厳しい競争原理が働いている、父性原理の強い社会では、ほめることで鼓舞して頑張らせても、力を発揮できなければ即座に切り捨てられます。厳しい父性原理によって子どもも若者も鍛えられていきます。

一方、日本のように親子が心理的に密着しており、力を発揮しなくても切り捨てられることのない、母性原理の強い社会では、子どもや若者を鍛えてあげるために、言葉だけでも厳しいことを言う必要があったのです。

ところが、そうした文化的背景を考慮せずに、厳しいことを言うと傷つけるとか、ほめれば自己肯定感が高まるなどといって、ほめることばかりを優先してしまったため、子どもや若者を鍛えてあげる機能が欠落し、傷つきやすく、心が折れやすい子どもや若者が増えてしまいました。これでは自己肯定感が高まらないのも当然です。

「ほめて育てる」デメリット

厳しい父性原理なしに「ほめて育てる」ということをすると、つぎのようなデメリットがあると考えられます。

・ほめてもらえないと、やる気をなくす心がつくられる
・失敗を恐れる心がつくられる
・失敗を認めたくない心がつくられる
・耳に痛い言葉が染み込まない心がつくられる
・注意されると反発し、自らを振り返らない心がつくられる
・思い通りにならないとすぐに諦める心がつくられる

そうなると、ほめられることによって一時的には自信になるかもしれませんが、それは脆く傷つきやすい自信であり、真の自己肯定感につながる自信にはならないのです。