でも今は違う。友だち同士という認識があれば、どこまでも果てしなく隣を詰めて着席していく。結果、後方は1列まるごと埋まるのも珍しくない。
教壇から見ると、ちょっと気の毒になるくらいの詰め方だ。もしかしたら、ほかの講義でそのように指示されたのかもしれない。まじめな学生たちは、それをすべての講義共通のルールと勘違いしているのかもしれない。
だから、心優しい筆者はこう言う。
この講義の座席は自由だから、好きに座っていいよ。ほら、その辺とか空いてるから余裕を持って座っていいよ。
さらに筆者の優しさは神だから、加えてこう言う。
と言っても今は動きにくいだろうから、ちょっと早いけど今から10分休憩入れます。その間に動いてもらってOKです。
~休憩中~
さて、休憩終了。座席配置はどうなっただろうか。
結論から言って、休憩前から変化なし。彼らは望んでそこに座っていたということだ。つまり、この詰め詰め配置が彼らのベストポジションなのだ。学生たちはなぜこのような座り方を好むようになったのだろうか。
前々から「最近の大学生はまじめで素直」と言われてきた。「打たれ弱く、繊細で、何を考えているかわからない」とも言われてきた。ただ、近年は急速に、若者たちの心の中が変化している。以下はほんの一例だ。
10年ほど前、講義の後、ある学生に「先生、皆の前でほめるのやめてください」と怒られたことがある。皆の前でほめた後、急に発言量が減った学生もいた。
最初はわけがわからなかったが、人前でほめるくらいなら何も言わないでほしいと学生が願う背景にも、「目立ちたくない」の延長線上にある心理が関係しているようだ。
まず、現在の大学生の多くは、自己肯定感が低く、いわゆる能力の面において基本的に自分はダメだと思っている。その心理状態のまま人前でほめられることは、ダメな自分に対する大きなプレッシャーにつながる。
そして、ほめられた直後に、それを聞いた他人の中の自分像が変化したり、自分という存在の印象が強くなったりするのを、ものすごく怖がるのだ。
今の若者のこうした行動原則や心理的特徴は「いい子症候群」というフレーズがぴったりくる。それは社会人になってからも急に変わることはない。
最近は、上司に何か質問されてわからないとき、横にいる同期に小声で助けを求める若者が増えていると聞く。さらに深刻で、かつ多発中なのは、若者がどうしたらいいかわからないまま仕事を抱え、取り返しがつかない状態になるまで放置してしまうケースだ。すぐに上司か先輩に相談すればなんてことはないのに、たったそれだけのことをためらい、抱え込んでしまう。これも、「そんなこともわからないのかと思われたらどうしよう」といういい子症候群心理のせいだ。上の例でいえば、「浮くのが怖い」という心理だ。周りの目に対するネガティブな意識がものすごく大きい。
教育現場でも、採用でも、また、実際のビジネスでも、若者との意思疎通不全は、笑い話で済まなくなる結果を生むことが多々ある。「今の若いやつはわからん」とさじを投げても問題は解決しない。すべての大人たちにとって、「若者の深層心理を理解する」ことは今や必須事項である。