自己肯定感が「低い日本人」「高いドイツ人」の違い

教育も自己肯定感に影響している?

教育の違いも日本人とドイツ人の自己肯定感の差につながっているのかもしれません。日本では、子どもが生まれた夫婦に「将来、どんな子に成長してほしいですか?」と聞くと、「多くは望みません。人に迷惑をかけない子であれば」という答えが返ってくることがあります。

日本ではポピュラーな回答かもしれません。ですがドイツ人からすると、「親が描く子どもの理想像=人に迷惑をかけない子」というのは衝撃的です。

実はドイツでは「人に迷惑をかける・かけない」という概念が浸透していません。当然、日常でこの言い回しが使われることもなく、ドイツ人の親や教師が子どもの行動を注意するときは、「テレビの音が大きすぎるからボリュームを小さくしてほしい」とか、「狭い場所にものを置くとほかの人が使えないので片付けるように」など、できるだけ具体的に伝えます。

もちろん「人に迷惑をかけない」という配慮は素晴らしいことです。ただし、その定義は日本人の中でも漠然としていますし、実際「何がどこまで他人の迷惑になるのか」がえらくわかりづらくもあります。

人に迷惑をかけないようにと育てられた人は、当然そうした行動に敏感になりがちです。それが返って、自己主張が苦手で、自己肯定感の低い日本人にもつながっている気もします。

どれだけ注意しても、誰にだって年に数度は誰かにとって「迷惑な存在」になることがあるはずです。大きな荷物を持ってバスの狭い通路をふさいだり、満員電車の中で子どもが泣き叫んだり、急ぎ足で歩いていたら人にぶつかってしまったり。

誰にも迷惑をかけない生き方なんて、実現不可能な気さえします。

「自由な生き方」を認めるドイツの幼稚園

では、自信家の多いドイツの教育はどうでしょうか? 筆者がドイツの幼稚園に通っていたときの記憶はあまりにも楽しく、40年近く経ったいまでも当時のことを鮮明に思い出せるぐらいです。

基本的にドイツの幼稚園には「何時から、皆で一緒に何々をする」といった決まったルールやカリキュラムはありません。

登園したら園児は自分の好きなことをして自由に遊びます。筆者が通ったミュンヘンのカトリック系の幼稚園には、大きな部屋に人形のコーナーや積み木のコーナー、絵本のコーナー、お絵かきのコーナーなどがありました。

筆者の場合、いつも決まった友人たちとお人形ごっこをするのが日課でした。先生から「ほかのお友達とも遊びましょう」「ほかのコーナーでも遊びなさい」などと注意を受けた記憶はありません。

好みが偏っていたとしても、特に心配や矯正されることもありません。「自分の好きなことを、時間が許す限りやってもいいんだ」ということを幼稚園時代から学べたことは、今も私の生きる支えになっている気もします。

筆者の父はドイツ人で、日本語は片言しか話せませんでした。一方で、日本人の母は今でこそドイツ語を早口で話しますが、筆者がドイツに住んでいた子どもの頃は、彼女のドイツ語もたどたどしかったことを覚えています。

そんな両親は最初の子どもである筆者の日本語とドイツ語のバイリンガル教育に力を入れました。それぞれの母国語を話す筆者を、両親は何かと褒めてくれました。親バカでもあったのでしょうが、話すたびに「すごいね!」と感動してくれたことが筆者の自己肯定感につながっているようにも思えます。

「私が、私が」はそんなに悪いのか?

日本とドイツの文化はなにもかも違いますので、一概に「どちらの国のほうが優れている」と評価できるものではありません。ただし、自己肯定感だけにスポットを当てると、聞き上手が美徳とされる日本人よりも、自分の好きなことを好きなだけ話すドイツ人のほうが精神衛生上いい気がします。月並みな言い方になってしまいますが、日本人はもっと自分に自信を持ったほうがいいと思うのです。

内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成30年度)」によれば、「自分自身に満足している」と答えた人はドイツ人では81.8%なのに対し、日本人はわずか45.1%。この自信のなさが、冒頭の自殺率の高さにつながっているように思えて仕方ありません。

最後に、この文章を読んでいる親御さんに一言。もし子どもが「僕が、僕が」「私が、私が」と自分の話ばかりしていても、そこに自慢ばかりが交じっていても、大目に見てあげてはいかがでしょうか。

子どもが幸せな人生を歩むには自己肯定感は必須。そのためには、自慢も大げさに褒めてあげるぐらいがちょうどいい気がします。