そこには「ルールが変わったのだから、自分自身も変わらざるをえない」という納得感があります。
「新型コロナウイルスが流行しているから、ソーシャルディスタンスをとるしかない」
といった具合です。
ところが、自分自身については、そういう外圧は基本的にはありません。もちろん、職場の上司や仲間から、あるいは家族などから、
「もっと変わったほうがいいよ」
「考え方が古いよ」
などと言われることはあるでしょう。それは、素直に耳を傾けられるのなら、1つの大きなきっかけになります。
だけど、もっと大切なことは、自分自身で常に変化の機会に気づき、それを習慣づけて何度でも繰り返し行うこと――それがアンラーンです。
「このままでいいんじゃないか」
「このままでもなんとかやっていけるんじゃないか」
という現状維持への固執が起こったときに、その固執を認め、客観的にとらえ直す。このアンラーンの姿勢が、この変化の時代に成長し続けるためには不可欠です。
ある他人に対して「あの人の言うことなら間違いない」と思ったり、「この人のアドバイスは聞くけど、あの人のアドバイスは聞かない」と選り好みをしたりしているとしたら、それもまた変化や成長を阻む思考パターンの一つです。
日本には、「できる人は何でもできる(何をやらせてもうまくできる)」し、「できない人は何にもできない(何をやらせてもうまくできない)」という思い込みのある方が少なからずいるように感じます。
入れる学校が偏差値で半ば決まってしまうような環境で学生時代を過ごしたせいなのか、単純な上下関係や表面上のわかりやすい優劣の判断基準で物事をくくりがちなのです。
実際には、誰かの能力が他の誰かに比べて、すべてにおいて勝っているということはありえません。得意があり、不得意がある。向き不向きもある。好き嫌いもある。能力を構成している要素を分解していけば、「私はこれが得意だ」「苦手だ」ということが必ずあるはずです。
それなのに誰か特定の人を常に目印にして、それに従うべきだと考えているとすれば、それはまぎれもない「思考のクセ」です。特定の人に従うことで感じられる安心感も、クセが感じさせている幻想でしょう。
このときのアンラーンの合言葉はこうです。
「誰だって間違うことがある」
──だから、ときには疑ってみることがとても大切です。
人生100年時代をどうキャリアチェンジしていくかというようなテーマの講演後、こんな相談を受けることがあります。
「今が好きで、十分満足しているので、変わりたくないんですけど。変わらなければいけませんか?」
どんなに「変化」が叫ばれていても、「今の状態が好きだから何も変えたくない」というのです。それは、一見とても素晴らしいことのように思えます。「今が好き」と言えるのは、恵まれた人生です。
ただ、僕には1つ、気になることがあります。
その「好き」は、本物の「好き」でしょうか?
好きに嘘も本物もないでしょう、と驚かれるかもしれません。なにも、本人が自分を偽っていると言いたいわけではありません。確認したいのは「好き」と「慣れているから心地いい」ことの線引きがしっかりできているかどうかということです。この2つの感情はとても似ているようで、実際には大きく異なるものです。
「このお店が好き」「この土地が好き」というのが、実は単に「すっかりなじんでいて快適だから」という理由であることは、結構な確率で起こっているような気がします。