嫉妬は苦しいものです。うらやましさ、憎たらしさ、妬ましさ、敗北感、惨めさ、不安などが入り混じったモヤモヤした感覚。それがだんだん強くなっていくと、憎悪や恨みに変わることもあります。
たとえば、自分がこれまで仕切っていた仕事を、新人と分けることになったとします。この新人の仕事ぶりが、社内でなかなかの高評価。みんなが新人をほめると、「なによ。大したことないじゃないの」と、嫉妬心がわくかもしれません。これ以上、私の仕事をとられては困ると、仕事を教えなかったりミスを責めたり、「ちゃんとマナーを教わってこなかったのかしら」などと、別な部分で嫌味を言ったり。
嫉妬は、自分が欲しいものをもっている人に対して、「私より○○さんのほうがいいのね」と快く思わない攻撃的な感情や、落ち込んだ感情です。
嫉妬心は、いろいろなところで芽生えます。才能、容姿、若さ、お金、役職、健康、学歴、恋人や夫の資質、愛されていること、認められていることなどなど、キリがありません。世の中では嫉妬の感情が渦巻いて、どれだけ足を引っ張り合っていることか……。
でも、嫉妬の感情はわりと簡単に解決できます。
「人は人、自分は自分」
これさえ、日ごろから心に刻んでおけばいいのです。人と自分を比べなければ、嫉妬をすることもありません。もし嫉妬の感情がわいてきたとしても、「自分には自分の道がある」と自分を認めることができれば、嫉妬心を撃退することもできるでしょう。
一点だけを見て人と比べるのは、短絡的な考え。才能で嫉妬したとしても、自分には別の才能があるかもしれない。相手がもっていない多くのものをもっているはずです。人間の価値なんて、測れるものじゃない。一点だけで、「勝った、負けた」と感情的になるなんて愚かなことでしょう?
嫉妬は苦しいものであり、同時に見苦しいものです。感情のなかでも、いちばん知られたくない、恥ずかしい感情。だれもが「自分が劣っている」ということを認めたくない。そんな感情を人に見せたくはない。だから、わかりにくい屈折した表現になってしまいます。
こんな話で盛り上がるとしましょう。
「そうそう。○○さんって管理職になったけど、社長のお気に入りだったからみたい。実力じゃないのよね」
ここでは、「かわいがられたり、認められたりしていいなぁ」とうらやましい。でも、そのまま素直に、「うらやましい」とは言えず、もやもやとした“嫉妬”になり、そんな人が集まっていると“共感”になり、無意識に強い連帯感を生み出すこともあります。
そして、だんだん麻痺してくるのか、快感になるのか、みんなで悪口を言ったり、見えにくい仲間はずれやイジメになったり。「出る杭はみんなで打とう!」運動になることも。こうした嫉妬は仕事のなかでときどきあり、足を引っ張り合ったり、派閥が生まれたりします。