子どもの頃に抱いた「信念」から、人は自分がこれ以上傷つかないように「防衛戦略」をとるようになるということは、前回の記事でもお伝えしたと思います。今回は、その防衛戦略のうち、「コントロール志向」と「権力志向」がある人について掘り下げてみたいと思います。
「権力志向」と聞くと、強い上昇志向のある人間を思い浮かべるかもしれませんが、実は、そんなことはありません。権力で自己防衛しようとする人は、自分の立場が相手よりも下になると、自分は攻撃されて傷つけられてしまうという、行き過ぎた不安を抱えている人なのです。
このような人たちは、子どものころに「親の言いなりになるしかない」と何度も感じた経験から、いつでも「相手は自分よりも権限を持っていて、自分を支配する存在」だと認識しています。決して、自分がすぐれていると思って威張ろうとしているわけではありません。ただ、支配的だと感じられる相手に対して引き下がるのではなく抵抗しているだけで、抵抗することで相手よりも優位に立って、自分を守ろうとしているのです。
その際、戦略として「能動的抵抗」か、あるいは「受動的抵抗」のいずれかを選んでおり、たいていの人はケースに応じてどちらも使っています。これらの抵抗は、権力志向者だけではなく、誰もが自分の安全領域を守るために必要に応じて使っているのですが、権力欲求やコントロール欲求が強い人の抵抗には、特別な意味合いがあります。
「能動的攻撃」とは、自分の権利を主張するために争い、相手を抑え込むような行動であるため、この攻撃が起こっていることは誰にでもすぐにわかります。それに比べて「受動的攻撃」もしくは「受動的抵抗」が起こっていることは、周囲の人からはわかりません。
「受動的攻撃」とは、相手に自分の意志をはっきりと伝えずに、大なり小なりのサボタージュをすることで、相手に身を任せるのを拒むことをいいます。要は、期待されていることをきちんと行わないのです。約束してもその約束を覚えておかないようにしたり、簡単に破ったり、あるいはじれったいほどゆっくりと実行したりします。
また、典型的な「受動的攻撃」として、いわゆる「壁をつくる」という行動をしめすこともあります。相手をその壁にぶつからせることで、相手の懇願や嘆願を受けつけないようにするのです。こうした人は、自分が相手にそのような障害を作っているにもかかわらず、心の中では「私が妥協しなければいけないことが多過ぎる」と思っています。そのため、相手が多少苦労することは当然だと思っています。
私のクライアントの1人を例に挙げてみましょう。彼は、自分の故郷にずっと住んでいたかったのですが、妻のために仕方なく引っ越すことになりました。これにより彼は潜在意識下で妻をうらみ、それ以降、妻と性行為をする気になれなくなってしまいました。
性的意欲をなくすことは、受動的攻撃として男女関係なく、よく使われる手段です。このちょっとした例からも、「自分の決断に対して責任を負う」ことが、ひとりの自立した人間として、いかに重要であるのかがわかると思います。