ピンチに直面したとき、リーダーが悲観的か、楽観的か、どちらのタイプに属するかでチームの命運が決まってしまいます。世に多いのが、悲観的なリーダーです。「事態はもっと悪くなるだろう」「もう打つ手がない」「いくら足掻いてもムダだ」と悪い方へ悪い方へと考える、こういうチームリーダーをよく見かけます。
部下が対策を提案しても、すでに聞く耳を持てなくなっている状態に陥っていて……。これでは事態を、自らさらに悪化させているようなものです。
皆さんはどうでしょうか? ピンチのときほど、楽観的に考えられる人が、チームを窮地から救います。なぜならば、冷静に考えれば本来は、打つ手は無限にあるのですから。それを体現したのが、幕末から昭和を生きた日本経済界の大立物・渋沢栄一でした。
のちに“日本近代資本主義の父”と称えられる渋沢栄一は、苗字帯刀を許された埼玉の豪農の出身です。何不自由ない生活を送っていましたが、幕末、神道無念流を学び、朋友と交流するうちに、流行の尊王攘夷の思想に染まっていきます。
ついには、高崎城を乗っ取り、横浜を焼き討ちして、幕府を潰してやろうという企みに参加しました。計画自体は未遂で終わったのですが、関八州取締出役(今日の公安警察)に目を付けられてしまいました。
そんなときに、剣術修行で江戸へ出たおりに知り合った将軍家の家族=御三卿の一つ、一橋家の家臣である平岡円四郎から、一橋家への仕官の話をもらいました。渋沢は少し前まで、幕府を転覆させようと考えていた男です。にもかかわらず、彼は徳川家の支系の一つである一橋家に仕官したのです。
随分と矛盾した選択をしたわけですが、渋沢のなかでは柔軟に考えた結果でしょう。このまま国事犯で追い回されていたら、何もできない。それよりは一橋の家臣となって、これまで経験してきた農商の才覚で一橋家が抱えている経済的な問題(財政破綻)を解決し、財政を再建できれば、その功労者としての発言力は大きくなるはず。そうなれば、一橋家全体を倒幕にも向けられるのではないか、と彼は楽観的に考えたようです。
財政再建というとむずかしそうに聞こえますが、武士の感覚で会計をしているから収入と支出のバランスがおかしくなっているだけのこと。藍玉商人でもある渋沢の目から見れば、そこを調整するのはさほどむずかしくありませんでした。
実際、すぐに財政を立て直すことができ、その功績が認められた彼は、勘定組頭にまで出世します。その上、主人の一橋慶喜が15代将軍になったため、渋沢も幕臣の身分を得て直参旗本となったのです。
さらに慶喜の弟である昭武に従って、渋沢はパリの万国博覧会に出張することになりました。フランスでは、商人と軍人が同じテーブルで対等に話をしている現場を目撃。渋沢はカルチャーショックを受けました。日本では考えられない光景であったからです。