「親ガチャ」に外れた32歳男性が同居続けるワケ

一度欠勤すると歯止めがきかなくなった。次の日も、その次の日も行けなくなり、結局、自分から辞めるか、辞めさせられる。そんなことの繰り返しだった。不思議だったのは、仕事自体は楽しく、バイト同士の仲もよく、環境には恵まれていたのに、ある日突然体が動かなくなること。「今日出勤しないと絶対に行けなくなる」とわかっていても、どうしても体がいうことをきかなかったという。

放課後に自宅にいることが増えたナツオさんに対し、両親は「なんで家にいるんだ」と怪訝な顔をするばかり。「僕を心配する言葉をかけてくれたことはありませんでした」。当時から自分も兄と同じ病気なのだということはうすうす感じていた。しかし、両親の兄に対する口さがない物言いを目の当たりにしてきただけに、打ち明けることができなかった。

そして、こうした状況は高校を卒業した後も変わらなかった。

パチンコ店や年金事務所、IT会社、食品加工工場――。10カ所以上で働いたが、いずれも「1年半ほど働くと、糸が切れたように無気力になって、欠勤を繰り返してしまう。今までたくさんの会社に迷惑をかけてきました」とナツオさん。履歴書に正直に書くとするなら、自身の退職理由はほとんどが「欠勤からの契約打ち切り」だという。

うつ病については、20歳のときに精神科で正式に診断を受けた。思い切って両親にも伝えたが、母親から「そんなこと言うなら、私だってうつよ」と言われたことを覚えている。

細切れの非正規雇用で働き続けるナツオさんに対し、父親はたびたび「俺は二十歳で結婚して働いて子どもを育ててきた。それに比べてお前は……」と言って責めた。正社員として就職するようにともいわれていたので、本当は派遣社員だったが、正社員だとウソをついたこともある。また、失業中は両親からの小言を避けるため、終日ネットカフェで過ごした。そのせいでネットカフェ代だけで月6万円に上ったこともあったという。

借金の額は約250万円

両親と距離を置きたい。でも、経済的に1人暮らしは難しい。苦肉の策として、ナツオさんは両親に「家にお金を入れるので干渉しないでほしい」と伝え、毎月5万円を手渡すことにした。以来、両親との会話はほとんどなくなった。家庭内絶縁状態である。

とはいえ、こんな生活ではたとえ実家暮らしでも、やりくりは厳しい。結局消費者金融や友人などから借金を重ね、現在その額は約250万円になる。消費者金融の取り立ては意外と厳しく、毎月電話オペレーターから「約束も守れないんですか」「どういうお金の使われ方してるんですか」となじられる。ナツオさんは「『なんとか1000円(の返済)でお願いできませんか』と頭を下げるしかない。そのことが苦痛で仕方ありません」と言う。

自分よりも先にうつ病を発症した兄は1人暮らしをしながら生活保護を利用している。仕事はしていないという。

ナツオさんは両親のことを「若いころから働いて子どもを育ててきたっていうけど、年金も払えない収入しかないのに、子どもを持つなんて無責任だ」と激しく批判する。兄に対しても「兄は、私の収入の倍以上の金額を(生活保護費から)受け取っています。(医療扶助によって)治療に専念できているのに、病状がよくなる気配もない。それに比べて自分は働いているのに、(収入が十分ではないので)治療をたびたび中断しなくてはならない。兄がうつ病にならなければ、両親の期待が自分に向くこともなかった」と突き放す。

これがナツオさんの半生と家族への思いである。

本連載では、家族、中でも親との関係が悪いと訴える人は多い。最近にわかに流行している言葉でいうなら、“親ガチャ”に外れたという人だ。持論にはなるが、そうした場合の解決方法はひとつ。物理的にも、精神的にも家族とは距離を置くしかない。にもかかわらず、取材で出会った人の中には、父親や母親に対する恨みや怒りを口にしながら、なおも同居を続けたり、まめに連絡を取ったりしている人が少なくなかった。それぞれに言い分や理由はあるものの、親ガチャの呪縛から逃れられていないのだ。