同じ環境で同じように暮らしていても、喜びや幸せを感じられる人と、悲しみにさいなまれて幸福感を得られない人がいます。いったい何が違うのでしょうか? 両者の違いを解説するとき、私は次のエピソードを紹介しています。
囚われの身である2人の男が鉄格子から外を見ていた。
1人は下を向いて地面の泥を見ながら絶望感を抱いていた。
1人は上を向いて空に輝く星を眺めて希望を抱いていた。
つらいことがあったとき、美しいものに気が付いて、気持ちが晴れた経験は誰にでもあると思います。地面の泥を見て絶望に打ちひしがれていた男も、もし空を見上げる余裕があったなら、輝く星に未来への期待を見出せたかもしれません。
鉄格子の中から上を向くか下を見るか。つまり、希望を見つけるか、絶望に浸るかは、他人に強要されるものではなく、自分自身の選択です。
「今日は上司に怒られて、恥をかかされ、作業のやり直しにも時間がかかって最悪だった」と泥を見つけるのも自分の選択。「今日は上司に怒られたけれど、自分のミスに気づけたし、やり直すことで学びがあった。明日はもっとうまくできそうだ」と星を眺めるのも自分の選択です。
「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。
自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう。
鉄格子の中から星を見上げた男のように、物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己肯定感が高い人です。
ここで改めて、自己肯定感とは何かを説明しておきましょう。
自己肯定感とは、「私が私であることに満足でき、自分を価値ある存在だと受け入れられること」。私は、自己肯定感こそが「人生を支える軸となるエネルギー」だと考えています。
本来、自己肯定感は誰にでも生まれながらに備わっているもの。実は、自己肯定感が一番高いのは赤ちゃんのときです。伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。
誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます。
でも、安心してください。自己肯定感は何歳からでも高めることが可能です。ただ、高めることができても、一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです。