仕事のできない人は「人間洞察」の本質を知らない

しかし、それによってますます業績が悪くなったんですね。そうしたなかで復活するきっかけになったのが「なぜ遊ぶのか」ということを改めて考えるということだったんです。目に見える現象だけ、傾向だけを追いかけていくとテレビゲームの優勢は揺るがない。

しかし、集計レベルの平均値ではなくて子ども1人ひとりをじっくり観察していくと、十分にレゴに夢中になっていることがわかる。だからもっとブロックに回帰していったほうがいいんじゃないかという話が対抗馬として出てきて、結局はそれが復活の糸口になった。

これは最近のデータ至上主義の落とし穴みたいな話で、実は世の中にはそういったデータによる弊害がけっこうあると思うんです。人間洞察というのは1人の人間の中にある、ものすごく複雑なメカニズム理解みたいなことなので、データを集計して平均値とか傾向とか相関を見るということとは、あまりうまくフィットしないと思うんです。

「いいものはいい」と言える度量

山口:もともと「遊び」自体がリベラルアーツのど真ん中のテーマですよね。人間はなぜ遊ぶのか。オランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』という本を書いていますけど、これって「遊び」が文化をつくったっていうことを論証している本ですからね。一方でデータは調査設計者が検証しようとする一面しか示しませんから、確証バイアスをさらに強める傾向があります。

やっぱりデータだけで「人間」を把握することは難しいんだと思います。人間というのは部分としては矛盾していたり整合していなかったりするので、部分の足し上げだけで理解しようとすると破綻してしまいますからね。

楠木:しかも人間ってそれほど一貫していないものなので、ますます人間の本性や本能についての洞察が重要になると思うんですよ。

山口:「役に立つ」ということで価値を出そうとすればデータとスキルはとても有用でわかりやすいんですけど、「意味がある」で価値を出そうとするとデータもスキルも役に立たない。そこで求められるのは「人間性に対する洞察」で、これがこれからは競争力の中核になっていくんでしょうね。

楠木:人間洞察ということで言うと、前にも話に出たマツダという会社も僕はいいなと思いますね。この会社の特徴として、ほかの会社のクルマであってもいいクルマはみんなすごく褒めるらしいんです。

独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口周氏(撮影:今井康一)

山口:そうなんですか。それは国産車でも?

楠木:ええ、国産車でも海外のクルマでも、その辺が実に素直というかおおらか。メルセデスが今よりもずっとコストをかけて造っていた、モデルでいうとW124っていうんですかね。

山口:Eクラスですね。

楠木:それでマツダの人たちは「あの頃のベンツは、ここがほんとすごかったよなぁ」みたいな話を嬉々としてするというんですね。この辺がなんとも上品でいいと思うんです。

山口:これもやっぱり「自分が小さい」という話ですね。たとえ競合が造っているものであっても「いいものはいい」と言える度量ですね。

いわゆる「三大幸福論」のうちのひとつを書いたバートランド・ラッセルというイギリスの哲学者がいるんですが、ラッセルの『幸福論』の根本にあるのは「自分自身に興味と関心を向ける人は必ず不幸になる」ということなんですよね。ラッセルは哲学者・数学者として名を成した人ですが、活動家でもあり非戦論を唱えて投獄されたりしながらも、最後にはうつ病も治ってとてもハッピーだった。

何度も離婚と再婚を繰り返しているので、「そりゃあお前はハッピーだっただろう。でも周囲の人がどうだったかはわからないぞ」とも思うんですけど、それはともかく、彼が人生において重要だったと言っているのは「自分には数学と哲学があった」ということなんです。
つまり謎を解きたい、わからないことを明らかにしたいという気持ちが強くあって、常に関心が外に向いていた。だからこれも楠木さんの言葉で言うところの、自分がすごく小さいんですね。