「ユウトは金メダルにふさわしい実力の持ち主だから、今回の結果は納得だよ」。オリンピックのスケートボード「ストリート」競技の決勝の翌朝に、ロサンゼルス市内にある公営のスケートボードパークを訪れると、スケートボード・コーチのエディ・ベセラさんがそう言った。
彼の隣で、ヘルメットを被って技の習得に励んでいる10代の教え子たち数人も、首を縦に振ってうなずいている。
「ユウト」とはこの街在住の堀米雄斗選手のことだ。ロサンゼルス(以下ロス)では1950年代初めに、サーファーたちの間で、波が来ないときにサーファーたちが娯楽がわりに空のプールで滑ったのがスケートボードの始まりではないかと言われている。1963年には第1回スケートボード・チャンピオン大会がロスで開催された。今もプロを目指すスケーターたちが世界中から集まってくるメッカだ。
本場のスケートボード文化とはいったいどんなものなのか?
「ここでプロを目指すなら、とにかく街に出て、路上で自分の好きな場所を見つけて滑り、その様子をビデオ撮影しないと始まらないよ。スケートボード・パークで滑ってその様子をいくら撮影しても、相手にされないからね」とベセラさんは言う。
コーチの傍ら映像カメラマンとしても働く彼は、こう続けた。「ロスのサウスサイド地区は、治安が悪くて危険だけど、かつてレジェンドたちが滑った有名な場所がたくさんあるから、今も人気だよ」。
もともと路上で自由に滑って楽しむことから始まったスポーツだけに、何よりもまず、路上で滑り、それが認められることが大前提なのだという。
「スケートパークでならうまくできる技も、凸凹のある路上でやってみると数倍難しい。路上では『出ていけ!』と追い出される苦労もあるし。だからこそ路上で技を決めると、仲間から尊敬されるんだよ」
そう語るのは11歳のアレックス・エニス君だ。ちなみに、彼がSNS上にアップした路上撮影の映像を見てみると、5段の階段の手すりを彼が滑り降りるビデオに、「So clean」(見事だ)や「butter」(バターのように滑らか)などという視聴者からの賞賛のコメントが多数ついている。
さらによく見ると、ビデオには「#スポンサー」「#スケートこそ我が人生」「#スケートボーイ」などのハッシュタグが、20以上びっしりつけられている。これは、検索でひっかかりやすいキーワードをあらかじめ散りばめておき、ネット上で映像を多くの人に見つけてもらうための工夫だ。それを11歳の少年がごく当たり前にやっている。
今回のオリンピックの女子ストリート競技では日本とブラジルの13歳同士が金メダルを争い、その若さに世界が衝撃を受けた。ロスのスケーターたちの多くは、「彼女たちはビースト(超人的)」という賛辞で褒め称える。