例えば私にとっては近年の霞が関の多くの役人がやっていることは、「Do the things right」に見えてしまいます。いや、それ以下かもしれません。
「前例がこうです。法律にはこう書いてあります」「それはできます/できません」というような基準で判断しているだけですから、それはおそらく「Do the right thing」ではありません。
もしも彼らが自分はパブリック・サーバント(公僕)だという気概があれば、たとえ前例を破っても、省益に反することがあっても、時の政権の意に反しても、しなければいけないことをするのが「Do the right thing」ということになります。
それは霞が関官僚だけではなく、ビジネスの世界で生きているプロフェッショナルにも同じことが言えます。やはり「Do the right thing」というのは、言うほど簡単ではありません。
そもそも「Do the right thing」を考えなければいけない局面というのは、誰かほかの人や、過去の自分のやったことなど、何かと衝突があるからこそ、考えなければいけなくなっているわけです。そういう場面ではどのような意思決定をしても、何か自分の中で犠牲にするものもあるかもしれない。
あるいは今までうまくいっていたものを切り捨てたりしなければいけないかもしれない。それを超えて意思決定をするというのはそれほど簡単ではないでしょう。しかし普段からインテグリティを意識していれば、そういうときでも正しい意思決定ができるのではないか。
社内や社外でトラブルが起きたとき、自分にとって損か得かで判断していると、判断を誤ります。何かもめ事が起きるというのは相手がある話ですから「相手がうんと言うように」とか、「相手を怒らせないように」、あるいは「自分が最後に交渉に勝つように」というような基準でその都度判断をしていると、長期的には道を誤ると思います。
損得や相手がどう思うかではなく、自分が正しいと思う判断基準、いわば自分の物差しがあれば、何か判断に迷うことがあっても、「自分の物差しに合うからイエスと言います」「自分の物差しに合わないからノーと言います」というふうにインテグリティのある対応ができます。
自分の物差しに従って判断をしていけば、インテグリティのある人間になれるはずです。
もしかしたら自分の物差しが、いわゆる世間の常識とは、ずれていることもあるかもしれません。その場合はしんどいかもしれないけれど、物差しに自信があるなら、自分を信じるべきでしょう。ただし何十年も持ち続けている物差しであっても、物差しのほうが明らかに狂っているのであれば、変えなければいけないと思います。
私は、2019年末まで、外資系コンサルティング会社であるカーニーの日本代表、2020年末までグローバルの取締役会メンバーを務め、2021年の初めからは、経営幹部のサーチとリーダーシップに関するアドバイザリーであるラッセル・レイノルズ・アソシエイツの日本における代表者として仕事をしています。
正直に言うと、私自身は長い間、インテグリティのある人間ではありませんでした。1つひとつの意思決定では、自分が勝つことや相手の歓心を得ることを目的に判断したこともありました。しかしその場合は勝っても負けても心はあまり穏やかではありません。その都度自分の立場や態度を変えていた私に、インテグリティはなかったということです。
ビジネスのプロフェッショナルとしての自分のこれまでを振り返ると、「インテグリティ」を培う旅をしてきたのであり、これからもその旅を続けていくのだと思います。