「せっかく〇〇したんだから…」の考えがヤバい訳

これはとても恐ろしい状態で、本人はただ一生懸命に頑張ってきただけかもしれないのです。与えられた仕事に対し、精一杯応えようとして努力して、いつの間にかその努力の証しである成功体験を、自分の価値観とアイデンティティーの「よすが」にしてしまう。

これこそが、僕がいう人生の「サンクコスト」に縛られている状態です。

僕は、こうした人たちが、過去になんの意味もないことをしていたといっているのではありません。若い頃は頑張っただろうし、それぞれの場所で社会を支えたのだと思います。

しかしいまこの時代に、「自分をもっと成長させていくんだ!」「新しい未来をつくっていくぞ!」という意志がないのなら、みんなの邪魔ばかりしていないで、「お願いだからじっとしてほしいな」と思ってしまうのです。

サンクコストは「人間関係」にも生じます。

まず、対象となる人そのものではなく、その人の属性のほうに目がいくような人間関係は、正直なところ整理しても構わないと考えます。

ビジネスにおいては、属性を重視して付き合う人は往々にして存在します。「○○グループの本社に勤めている」「あの人は本部長だから」「この人と付き合っていると営業成績にプラスになるかも……」。

そんなビジネス上のメリットで人と付き合うことは、よくあることだと思います。

「別にいいんじゃないの? 仕事で関わる人すべてと親しくなるわけでもないし、仕事の関係ってそういうものでしょ?」と、思う人もいるかもしれません。

でも、それはちょっと甘い。

なぜなら、それは最も貴重なリソースである人生の「時間」を、好きでもない人に使っているからです。この損失は、本当に計り知れません。

もちろん、いま現在関わる仕事の案件において、大切にしたほうがいい人間関係はあるでしょう。ときには、決定権がある人と近づいておくことは、仕事をうまく進めるうえで役に立つこともあると思います。

でも、いま取り組んでいる案件が終われば、また別の案件がはじまります。そして、次の仕事でもまた、別の属性を持つ人が現れるのではないでしょうか。

また、仕事で関わる人がまったく変わらない場合は、なおさら上司や得意先など決定権がある人がつねに近くにいて、その人を振りまわしてしまうこともあるでしょう。

人生の時間が着実に減る

なにがいいたいのかというと、「仕事だから仕方ないでしょ」といっているうちに、その人が自分のために使えたかもしれない人生の時間が、着実に減っているということです。

さらにいえば、自分のリソースを自分でしっかり守る必要があるのは、属性重視の人間関係は往々にしていつまでも続いていくからです。よくあるパターンは、「あのときお世話になったから」「いいお客さんだったから」という関係。要するに、ひとつの案件が終わっても、属性だけの付き合いはいつまでも続きがちだということです。

そして、それらすべてが、気づかないうちにサンクコストになっていきます。

ちなみに、そんな人間関係を続けていると、その人のまわりにいる同僚や部下たちも、同じような関係性を相手に求められて困ったことになるかもしれません。

また、最も恐ろしいのは、そうした人間関係にもまれて次第に慣れていくと、いつの間にか、自分自身がそんな属性を軸にした関係を相手に求めはじめるかもしれないことです。

よく、部署が変わったり退職したりした途端に「年賀状が来なくなった」「あいつは恩知らずなやつだ」などと文句をいう人がいるようですが、それはあたりまえですよね。なぜなら、ひとりの人間としてではなく──わかりやすくいえば、名刺に書かれた会社名や役職といった「記号」として付き合わされていただけだからです。