意見の対立はたいてい「3つの領域」で起きている

(イラスト:早川書房提供)

 誰かと意見が対立しているとき、自分たちが向き合っているのがこの3つの領域のうちのどれなのかに注目するとおおいに役立つ。3つの領域とは、「何が事実か?」(=頭の領域。情報や科学の問題)に関する不安、「何が有意義か?」(=心の領域。好みや価値観の問題)に関する不安、「何が有効か?」(=手の領域。実用性や計画の問題)に関する不安だ。

現実はこの3つの組み合わせで成り立っていて、それぞれに検証のためのルールがあり、会話のなかで異なる意味合いが含まれる。意見の対立を解消するのに効果的な方法は、3つの領域によって違う。ある領域にとって有効な方法が、残りの2つの領域にも有効だとはかぎらないので、注意が必要だ。

頭の領域──何が事実か?

意見の対立が、正しい情報を集めることで解決できるとき、それを「頭の対立」と呼ぶことにしよう。つまり、頭と頭がごっつんこしている状態であり、実世界で正しいか正しくないかを客観的に検証できるデータや証拠が解決のカギを握っているからだ。ある状況の「何(ホワット)」の部分に関係することが多い。
 例:2人がお互いの好きな番組をどれくらいずつ見るかについて言い争っている。この場合、ここ数日間でお互いの好きな番組を見た時間数が解決の基準となる。

心の領域──何が有意義か?

意見の対立が、個人の好みの問題としてしか解決できない場合、それを「心の対立」と呼ぶことにしよう。つまり、心と心がぶつかり合っている状態であり、個人の好み、価値観、主観的な判断が解決のカギを握っているからだ。ある状況の「なぜ(ホワイ)」の部分に関係することが多い。
 例:2人がある番組に見る価値があるかどうかについて言い争っている。この場合、個人の好み、他者と折り合いをつける能力、さまざまな種類の物語への評価が解決の基準となる。

手の領域──何が有効か?

意見の対立が、なんらかのテストを実施したり、事の成り行きを見守ったりすることでしか解決できない場合、それを「手の対立」と呼ぶことにしよう。つまり、さまざまな手段を比べ合っている状態であり、ある状況の「どう」の部分に関係することが多い。
 例:2人が、お互いの好み、番組の放送時間、個人的なスケジュールの違いを考慮し、両者が納得できる形でテレビの視聴時間のバランスを取る最善の方法について言い争っている。この場合、その方法が2人の長期的な関係にとってどれだけ有益となるかが解決の基準となる。

3つすべてが絡み合っている場合は?

意見の対立が生じたときは、必ず頭、心、手のうちの少なくとも1つの領域で対立が起きている。時には、2つまたは3つすべてで対立が起きているケースもあるだろう。そういうときは、「これは頭、心、手のうち、どの領域の問題なのだろう?」と問うことで、議論を種類別に切り分け、真っ先に対処すべき問題がどれかについて合意を得られるはずだ。

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もう1つ、触れておかなければならない領域がある。自分では別の誰かと対立しているつもりなのに、実際には自分自身の最悪の恐怖や想像を投影したものと言い争っているだけだということに気づかないケースがある。

影を相手に、生産的対立を実践するのはずっと難しい。影というものはいつだって私たちのもっとも容赦ないステレオタイプを体現していて、私たちの期待どおりにふるまうからだ。それが影の果たす仕事なのだ。

自分自身の影と言い争うのをやめるには? まずは自分が言い争っている相手を知り、それがあなたと会話している生身の人間であることを認め、相手がこう言ったと決めつけたりはせずに、相手の言い分にじっくりと耳を傾けてみよう。

自分自身の影と言い争っていることに気づいたら、いったん腰を落ち着けるといい。きっと、かなり長くなるだろうから。