たとえば、「他愛のない会話」というのは、別の表現をすると「目的がない会話」になります。ある意味つかみどころがなく、いつも会話の終着点が行き当たりばったりになるということです。
つまり、相手や状況が変わるごとに、頭をフル回転させて、臨機応変に対応しなければいけません。どのように話を広げたらいいのか、終わらせればいいのか、そんな悩みばかり出てきて、疲弊してしまいます。
また、お笑い芸人のような、完璧なフリとオチがある「盛り上がる会話」をイメージする人もいるようです。テレビで見る芸人のトークは、しゃべりのプロだからこそできる話芸であり“芸術”です。芸術を見様見まねで取り入れてもうまくいかず、そこには違和感しか生まれません。
「幅広い知識が必要な会話」については、たしかに、相手に合わせて話題を振ることができたら、話は広がっていくでしょう。
しかし当然ながら、ありとあらゆるジャンルの知識を持っておくことは容易ではありません。知識量を雑談の切り札にしてしまうと、知らないテーマが話題にのぼったときに、どう対応したらいいのかわからなくなってしまいます。
もしかしたら、これらの雑談のイメージは、あなたの周りにいる「雑談が上手な人」を思い浮かべて出てきたものかもしれませんね。おそらく、そのような人はもともと、臨機応変に対応する力やコミュニケーション力に長けているのだと思います。
もしもあなたが「雑談が苦手」と悩んでいるなら、そのような雑談上手な人を参考にするのは、少し危険です。人の得意分野をまねしようとしても、「あの人はできているのに……」と感じる経験ばかり増えて、余計に苦手意識を助長してしまいかねません。
人間はどんな人であっても、得意不得意があります。それなのに、昔からの教育などによって、「すべて平均点以上を目指すことがいい」と思い込みやすくなっているのです。
ただ、実際に社会に出ると、つねに「すべて平均点」なことが評価されるわけではありませんよね。苦手なことがあっても、得意なことが突出していると評価されたり、過ごしやすい環境を求めやすかったりします。
雑談も同じです。得意な人はその能力を生かせる場所へ行けばいいし、苦手な人は、ほかの得意なことを生かしたほうが生きやすいはず。
「雑談が苦手」はあなたの特徴であり、欠点ではありません。周りの人と比べて「私も得意にならないと……」と焦る必要はないのです。
ここまでお伝えしたように、そもそも雑談は「しなければならないもの」ではないのです。
では、日々の中で、雑談の機会をなくすのがいいのかというと、私はそう思いません。なぜなら、プレッシャーを感じないリラックスした雑談であれば、多くのメリットを得られるからです。
雑談は、カタルシスといった「心の浄化作用」を持っています。職場であれば、仕事とは関係のない雑談がガス抜きになって、頭を休ませることができるのです。
あなたにとってストレスのもとである雑談も、うまく使えば、日々のストレス解消につなげることができます。
これは個人単位の話ではありません。雑談によって、職場全体の活性化度合いや幸福感が高まることもわかっています。最近は、在宅勤務やテレワークに伴うオンライン上でのやり取りが増えたぶん、雑談する機会が一気に減ったという人も少なくありません。
その影響もあり、ストレスをうまく発散することができず、しんどさを抱え込んでいる人が増えています。このことからも、雑談をするメリットがあることは明らかです。
このように、「ストレス0の雑談」は、私たちの日々に大きな効果を与えてくれるのです。
「雑談が苦手」だと感じているあなたも、仲のいい友人や家族とたくさん話をして、幸せを感じたことがあるはずです。誰かと楽しく話をしたことで、その1日に充実感を覚えた人もいるでしょう。
ストレスを感じないコミュニケーションは、本来楽しいものです。雑談を「ストレスを生み出す毒」から「ストレスを解消する薬」にすることで、あなたは今よりも生きやすくなるはずです。