私は、29年前に、一人息子を出産した。
赤ちゃんを育てる母親は、一瞬たりとも気を抜いていない。新生児の息子の息がほんの一瞬途切れただけでも、私は跳び起きた。
反射的に上半身をパッと起こした自分を客観視して、私は苦笑したことがある。こりゃ戦士だな、と。ここは戦場のベースキャンプか。それだけ、自分が命がけなのだと悟った。
出産の前の晩、眠りに落ちる寸前、私は不思議な感覚に襲われた。私の枕のすぐ上に、ばふっと大きな穴が開いたように感じたのだ。遥か遠くにつながるトンネルのような空間が開いた、そんな感じだった。私の息の音や、ふとんが擦すれる音が吸い込まれていく。とてもリアルな感触だった。
私は、あの世とつながる道だと信じた。子どもの”仕上げの魂”がやってくる道だ。そして、私自身もあの世にうんと近いところにいるのだ、と。不思議と怖くなかった。子どもの命と引き換えに、私がこの闇の向こうに行くことさえ、まったく厭わなかった。翌朝早く、私と息子の出産が始まった。
母になるとはそういうことだ。時満ちるようにして、自然な覚悟がやってくる。命の危険と隣り合わせにいることがちゃんとわかるのに、怯える気持ちなんて一ミリもない。ただただ、子どものことを思うだけ。
母は、こうして命を投げ出した戦士である。そりゃ、強いわけだよ。
さて、いきなり命知らずの戦士になった妻たちは、当然のように夫を戦友扱いする。
おむつを替えていて、赤ちゃんが寝返りを打ったせいで、お尻拭きに手が届かない……!なのに、傍にいる夫が、ぼ~っとしている。その瞬間、目から火が出るほど腹が立つ。
恋人気分のときには、「たっくん、とって~」と声をかけていたのに、甘えて取ってもらうなんて思いつきもしない。そりゃ、そうでしょう、「私がヘリコプターのエンジンかけるから、たっくん、ドア閉めて~、ちゅっ」なんていう戦闘チームがいる?
妻は、自分が「戦闘任務遂行中」の脳になっていることに気づいていないから、夫が急に、無自覚の役立たずになったような気がして、絶望する。
夫にしてみたら、青天の霹靂である。ひどいショックを受けもする。出産に伴うホルモン変化でまろやかな身体になって、いっそう優しそうに見える妻が、赤ちゃんには聖母のような笑顔を見せるのに、自分には鬼のような形相を見せるのだから(もちろん個人差はある)。
妻の脳は、その認識のレンジ(目盛)を赤ちゃんに合わせている。赤ちゃんの小さな身体、なめらかな肌を一日中凝視しているので、夕方帰宅した夫の顔を見て「でかっ」「脂っぽいっ」とびっくりしたりする。また、一日中、繊細なしぐさで赤ちゃんに接しているので、夫の歩く音がとてつもなくうるさく、ものをつかむしぐさがガサツに感じる。テレビでテロ事件の破壊映像が流れたりすると、強い衝撃を受けて、涙が止まらなくなることもある。