技術官僚(テクノクラート)的な考えによれば、経済は機械と同じように形作られる。作動させない時間が多くなると、機械の価値は落ちるに違いないと。だが、経済は機械ではない――はるかに複雑なシステムなのである。機械は魔法を考慮しないが、複雑なシステムでは魔法を考えてみる余地があるのだ。
エンジニアリングは魔法を考慮しないが、心理学は魔法を考慮する。
人は無邪気なロジックにしがみついたまま、整然とした経済モデルやビジネス事例、狭義の技術的なアイデアといった、魔法と無縁の世界を作り上げてきた。そして複雑な世界をコントロールしているというすばらしい安心感を与えられている。
このようなモデルが有益な場合は多いが、時には不正確だったり誤解を招く恐れがあったりする。ひどく危険なことになる場合もある。
ロジックや確実性を求めれば、プラス面と同時にマイナス面もあることを忘れてはならない。科学的に見える方法を優先するあまり、もっと非合理的でもっと魔法的な解決策が考慮されていないかもしれないのだ。そういった解決策は安上がりで即効性があり、効果的かもしれないのに。
神話めいた「バタフライ効果」〔訳注:非常に小さなことがさまざまな要因を引き起こして、次第に大きな現象へ変化すること〕は実際に起こりうるのに、われわれは蝶(バタフライ)を捕まえるために十分な時間を費やしていない。そこで私の経験から、最近のバタフライ効果の発見をいくつかあげておこう。
ここにあげた途方もない成功例は、経済学者にとってはなんとも非論理的なものばかりだったが、このすべてがうまくいった。そして、1番目の例以外は私が所属する広告会社であるオグルヴィのある部署によって生み出された方法だ。問題に対する直感と相容れない解決策を探すために、私が設立した部署である。
問題というものには、一見不合理な解決策がほぼつねにひそんでいるのに、誰もそれを探そうとしないことにわれわれは気づいた。誰もがほかの解決策を探そうとしてロジックに心を奪われすぎているのだ。
また腹立たしいことに、この方法で成功しても、リピート客を確保できないことにも気づいた。そんな魔法のような解決策を追求する予算の要求は企業にとって容易でないし、政府にはなおさら困難なのだ。ビジネスの事例はロジカルに見えなければならないからである。
確かに、議論に勝つためにロジックを用いるのが普通は最善の方法だが、人生で成功したければ、ロジックが必ずしも有益とは限らない。
起業家が非常に貴重なのは、会議の出席者にとって意味が通ることばかりやるわけではないからだ。興味深いことに、スティーブ・ジョブズやジェームズ・ダイソン、イーロン・マスク、ピーター・ティールのような人たちは正真正銘の変わり者に見える場合が多い。
ヘンリー・フォードが会計士を軽蔑していた話は有名だ――彼が支配権を握っていた間、フォード・モーター・カンパニーは一度も監査を受けなかった。
ロジックを求めるとき、目に見えない対価を払うことになる。魔法が壊れてしまうのだ。そして経済学者や技術官僚(テクノクラート)やマネジャーやアナリストやスプレッドシートオタクやアルゴリズムデザイナーが過剰に供給されている現代の世界では、魔法の使用が次第に難しくなっている――というより、魔法を試すことすら困難だろう。
私はこれからみなさんに、人生には魔法の余地があるべきだということを思い出させたい――心の中にいる錬金術師を発見するにはまだ手遅れではないのだ。
(翻訳:金井真弓)