まずお話ししたいのは、コロナ禍がもたらした生活の変化は、うつになりやすい要素があふれている、ということです。そのことについて、順を追って説明していきましょう。
(1)コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす
コロナ禍による生活の変化により、「本人にとって自覚しづらい疲労=ステルス疲労」がたまっていくことがあります。
たとえば、テレワーク。「新しい生活様式」という言葉も使われ、通勤時間が減って楽になった、嫌いな上司にも直接会わなくていいから気楽だ、といったプラスの面が強調され、いいことずくめのように感じられます。
ところが実際は、初めてのテレワークではオンライン会議への準備や慣れるまでエネルギーを使いますし、通勤がなくなり、よいことばかりのように感じられても、外出しないことによるストレスも感じています。
そもそも、人間にとってあらゆる「変化」はストレスです。結婚、引っ越し、異動、転勤、転職など、あらゆる変化は、たとえそれがプラスの変化であっても、新しいことに対応して慣れるためにエネルギーを使うという意味で、疲れるのです。
ただ、転勤といった1つだけの要素であれば、通常は2~3カ月で慣れて、疲労も取れて新生活になじむことができます。ところがコロナ禍によって、この1年は新たな変化の連続でした。突然の緊急事態宣言、学校や保育園の休校・休園、テレワーク、マスクやトイレットペーパーの品切れ、自粛警察……などなど。
緊急事態宣言が解除されたと思ったら、今度はGO TO TRAVELやGO TO EATの推奨。そしてまた、再度の緊急事態宣言……。ブレーキとアクセルを次々と踏みかえるような、まさしく変化にあふれた1年で、気づかないうちに、多くの人に自分では自覚しにくいステルス疲労がたまっています。
(2)「生命直結の不安」という特徴
新型コロナウイルスは生命に直結する「不安」をもたらします。高齢者や持病を持っていない人でも、感染に関する恐怖はあり、その不安はさまざまな報道によって、日々、大きくなったり、小さくなったり揺れ動いています。
明日のプレゼンで失敗するかも、といった不安とは質の違う、自分や家族の生命に関する不安に1年間さらされ続けるというのも、疲労を蓄積させます。
(3)「我慢」がエネルギーを消耗させる
緊急事態宣言にともなう「自粛」の要請により、これまで好きだったことを「我慢」しなければなりません。人間は「我慢」することにも、精神的エネルギーを多く使います。
(4)「不安の感受性」の個人差
コロナ禍では、感染への不安の強弱が人によって大きく異なります。「不安の感受性」の個人差が大きいからこそ、周りの人はどう思っているのか、余計に気を遣って観察したり、話をしたりしないといけません。他者の考え方、行動にこれまで以上に気を遣わなければならず、その結果、疲労がじわじわとたまっていきます。