接客サービス業で重要視されるのが、「笑顔」です。「返事と挨拶と笑顔が真っ当にできれば、仕事の8割は成就した」と常日頃から言うほど、わが社は「笑顔での挨拶」を徹底しています。
武蔵野では、「笑顔」を次のように定義しています。
私の笑顔も、「練習」によって身につけたものです。今から40年以上前、私は「社長の教祖」と称された経営コンサルタント、一倉定先生に師事していました。一倉先生は、別名「炎のコンサルタント」と呼ばれ、厳しい指導で知られていました。
とにかく容赦がない。利益だけを追求する社長に対しては、烈火のごとくしかり飛ばします。「これは講義ではない、落雷だ」と恐れおののく社長もいました。
そんな怖いものなしの一倉先生から、「キレすぎて危ない」「あんたはカミソリみたいな人だ。そばを通るだけで傷がつく。ナタぐらいになると、ちょうどいい」と指導されたのが、小山昇です。
当時、武蔵野の幹部16人中5名は、元暴走族でした。それも特攻隊長、親衛隊長、遊撃隊長といった役職付きの強者です(笑)。
そんな猛者たちが「やくざより怖い」と恐れたのも、小山昇です。彼らが人に迷惑をかけるのは、「自分が評価されていない」と思うからです。私は彼らの存在を認め、関心を持って接することで、彼らは変わっていきました。
一倉先生に「切れ味鋭くなくていい」と指摘されてもカミソリを研ぎ続けていた私が、ある人のひと言をきっかけに、「カミソリ」の異名を返上しました。ある人とは、飲み屋のおねえさんです(笑)。
彼女から、「どうしていつも苦虫をかみつぶしたような顔をしているの? そんなんじゃ、モテないわよ!」と指摘され、目が覚めました。
「オレがモテない原因はそれか!」。そして、「つくり笑い」を覚えた。「社員を怖がらせないため」ではなくて、「自分がモテるため」という不純な動機で笑顔を覚えたわけです。
けれど不思議なことに、心を込めずに「つくり笑い」を続けているうちに、自然と「本物の笑顔」になってきて、社員やお客様と親密なコミュニケーションが取れるようになったのです。
愛想笑いやつくり笑いは、偽物の笑顔かもしれない。けれど、最初は偽物でもいい。何百回も何千回も続けていれば、偽物は本物に変わります。「形から入って心に至る」です。
かつての私は、「人前で話す」ことも苦手でした。
子どものころは吃音(言葉がスムーズに出ない状態)に悩まされ、同じ音を繰り返したり、引き延ばしたり、つまったりしていました。オマケに赤面恐怖症でした。