「思い出したくない事」こそ笑いに変えるべき訳

思い出したくない過去ほど時間がたつと、笑いのネタになります(写真: buritora /PIXTA)
1年の半分を東京で、残りの半分を夫の実家であるイタリアで過ごしてきた漫画家で文筆家のヤマザキマリ氏。コロナ禍で約10カ月にわたって東京の自宅に閉じこもることを余儀なくされていたなか、あらためて「笑い」の価値に気づかされたそうで――。ヤマザキ氏が上梓した『たちどまって考える』を一部抜粋・再構成しお届けします。

新型コロナウイルスのパンデミックのなかで、あらためて漫画家というのは特異な職業だなと感じています。引きこもって仕事をするという働き方もそうですが、職業に対する理解者がたくさんいるかと思えば、一方には偏見があることも感じるからです。

実はイタリアでは、漫画は"ブルーカラーのためのもの"といった捉え方をいまだにしています。アメリカのマーベル社のコミックスはまさにブルーカラー階級の需要を狙って出版されたものですが、芸術大国のイタリアでは、特に年配者を中心に「金稼ぎの材料として大量に印刷される絵は邪道だ」と思われている節がある。

イタリアにいると、人から職業を問われて「漫画家です」というと「いや、だから本職は?」と問いただされたり、「せっかく油絵を学んでいたのに、なんで漫画を描くようになったの?」という質問を受けたりするのがその典型です。

フランスとイタリアの漫画家に対する理解の差

ところがお隣の国フランスでは、ルーヴル美術館において2016年に「ルーヴルNo.9~漫画、9番目の芸術~」という企画展が開催されるほど、漫画は芸術の1つとして社会的に認められています。

この展覧会には私も「美術館のパルミラ」という、シリアの現状を扱ったセリフのない作品を出させていただきました。ちなみにほかの8つの芸術というのは、絵画、音楽、文学、建築、彫刻、演劇、映画、メディア芸術というものです。

もともとフランス語圏には『タンタンの冒険旅行』シリーズ(エルジェ著)など、「バンドデシネ」と呼ばれる、日本の「マンガ」とはまた違ったスタイルの漫画が発達しています。「大量生産をしない、純粋美術が最も高尚である」という考え方が強固なイタリアとは、漫画をめぐる文化的背景が違っているんですね。

純粋芸術に肩を並べるほどの野心は抱いていませんが、『たちどまって考える』のなかでもふれたとおり、『サザエさん』のような漫画が提供する「笑い」は時に大きな励ましになると私は思っています。そして個人的にも、ただカタルシスを得るだけでない、生きる力をもらえるような笑いはとても大事だと考えているのです。

とくにパンデミックのなかなど、疲れた心に笑いは必要ですよね。先日SNSを見ていたら、YouTubeに投稿されている動画が目に留まりました。とあるニュージーランド人の男性がリコーダーで映画『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)のテーマ曲を演奏しているというものです。

実はこの動画、10年ほど前に友人の漫画家・羽海野チカさんに教えてもらったものでした。『テルマエ・ロマエ』の著作権に関する炎上騒ぎのなかで落ち込んでいた私を、「マリちゃん、これを見て元気を出してね」と励ましてくれたのです。

その動画を久しぶりに見たわけですが、死ぬほど笑い転げました。話していても思い出し笑いをしてしまうほど、面白い。随分と長く世に出回ってきたのに、いまだにこれほど笑えるのか、と感心しているほどです。

YouTubeの動画で笑い転げる

すでにご存じの方もたくさんいるかもしれませんが、ざっとこの動画の説明をいたしますと、シャツのボタンが腹部ではちきれそうになっている、ブロンド、ロン毛のふくよか体型の男性が、小学校などで私たちも懸命に練習させられたあのリコーダーを吹きながら、街を見下ろす高台や波止場、キャンドルライトに照らされた食卓など、さまざまな美しいロケーションでドラマティックなポーズを決め続けます。