「ネットは怖いところだ」――あなたは、こう思ったことはないだろうか。私が以前2万人を対象に調査したところ、「ネットには攻撃的な人が多いと思う」と考えている人が、実に75%もいた。実際、毎日のように発生しているネット炎上や、ネットの誹謗中傷を背景に起こった痛ましい事件などを見ていると、そう思わずにはいられない。
このように攻撃的で極端な人をネットでよく見かけるというのは、何も日本に限った話ではない。アメリカの歌手アリアナ・グランデさんと婚約していたコメディアンのピート・デイビッドソンさんは、2018年にインスタグラムのアカウントを消した。その理由が、SNSにあふれる攻撃的なメッセージである。
デイビッドソンさんは、グランデさんと正式に付き合うようになってから、彼女のファンに攻撃されるようになった。英国メディアBBCの報じたところによると、「インターネットは邪悪な場所だ。自分にとって気持ちのいい場所じゃない」と最後に書いて、アカウントを削除してしまったようである。
イエール大学のアントン・ゴルヴィッツァー氏の研究によると、年齢や政治的傾向に関係なく、SNSを利用する時間が長いと、社会における政治的意見を極端に感じるという結果が出ている。
つまり、ネットを利用している人ほど、社会は極端な意見であふれ、分断が進んでいると感じるということだ。どうやらネットには極端な意見が多く、怖いところというのは世界共通の認識らしい。
しかし考えてみると、これはちょっとおかしい。なぜなら、現代社会ではネットを利用していない人はほとんどいない。「ネットユーザ≒社会にいる人」のはずで、ネットだけに怖い人が多いというのは実に奇妙だ。
なぜネットでは、このような奇妙な現象が起こるのだろうか。そのメカニズムを、最新の統計学や科学は解き明かしつつある。そしてその背景には、次の4つの「ネットが持ってしまっている根源的な特徴」が存在しているのだ。
最も大きい要因が、ネットの言論空間とは、極端で声の大きい人ほど、誰にも止められることなく、大量に発信できる場ということである。「極端な人」は、当該問題について強い関心を抱いていたり、想いを持っていたりすることが多い。
例えば、極右の人は政治というテーマについて確固たる考えを持っており、自分の政治信条について強い想いを持っている。往々にして、政治に全然詳しくなくて極端になったというよりは、かなり調べており、そのうえで極端になっていることが多い。これはもちろん、反対の極左にもいえることだ。
一方、中庸な意見を持っている人は、それほど強い想いを持っていない。自分の考えを多くの人に伝えなきゃという使命感にかられるようなことはないし、そもそも当該問題に関心の薄い人も多いだろう。
さて、ここまでは社会もネットも変わらない。しかしここから、ネットのある特徴が、ネットを「極端な人ばかり」にするのである。それは、ネットには「発信したい人しかいない」という特徴である。
例えば、よくテレビや新聞でやられるような世論調査では、電話を使って質問をして意見を収集する。この時、回答者は無作為に選ばれた人が、聞かれたから答えている状態である。つまり、受動的な発信だ。近年では回答者の選択方法に課題を指摘されることも多いが、ある程度社会の意見を反映した結果にはなっているだろう。