東大卒なのに「生きづらい人」が陥る3つの失敗

「東大卒なのに生きづらさを抱える人」の特徴とは?(写真:jaimax/Getty Images)
東大卒なのに人生に不満や生きづらさを抱えてしまう人の「3つの特徴」とは? 『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』で数多くの東大出身者を取材し、自身も同大学出身者である池田渓氏が解説する。

東大内格差に打ちのめされた地方の貧困家庭出身者、営業職で疲弊し心を病んだ法学部卒の銀行マン、自らを「奴隷」と称し月200時間の残業を続けるキャリア官僚、東大卒の肩書をリセットして医学部を再受験した市役所職員、袋小路に入り込んでしまった博士課程の院生、逆学歴詐称をして警備員になった元駒場寮生の漫画家etc.……。

拙著では、上記のような東京大学卒業生へのインタビューを通して、せっかく日本では最上級の学びと研究の環境を与えられながら、それを後の人生に生かすことができなかったことを後悔している人々の姿を書いた。

それ以来、多くの方から「彼らはどうすべきだったのか?」、あるいは「こうすればよかったではないか」という質問や感想をいただいている。

そこで本記事では「東大を出た彼らは、どうすれば幸せを感じながら生きられたのか」ということについて、卒業生への取材を重ねる中で見えてきた生きやすくなるために「やってはいけないこと」を改めて書いておきたい。これは東大の卒業生にかぎらず、いわゆる高学歴とされ、その学歴をアイデンティティーの一部としている人々一般にも通じる話でもあるだろう。

「学歴に執着する人」ほど要注意

やってはいけない1:「東大卒」の学歴に執着する

東大に入るために犠牲にしたものが大きい人ほど、その見返りを求めるものだ。払った犠牲に対して十分な見返りが得られていないと思ったとき、すなわち、東大に入ったことが自らの幸福に結びついていないと思うとき、唯一の成果物である「東大卒」という学歴への執着はより強くなる。

しかし、たかが東大に入るために大きな犠牲を払わなければならなかった人というのは、およそ凡人なのだ。凡人が東大という環境で学べたことなど知れている。東大でたいして学んでもいないのに、社会に出た後も東大卒という学歴にとらわれ続けることは無駄でしかない。そのプライドは精神的なかせとなり、自らの可能性をジワジワと殺していくだろう。

まわりの目は仕方がない。東大卒の学歴はいつだって周囲の人に注目される。しかし、東大卒であることに自分からしがみつかないことだ。過去のことは忘れよう。今いる環境で前だけを見て努力するほうが、未来での幸せを手に入れやすい。

やってはいけない2:「逃げる」ことをマイナスに捉える

霞が関、一部上場企業、外資系コンサルタント会社、研究職……東大からの延長で就職をすれば、この類いの「高性能マシンが激走するサーキット」に入り込んでしまう可能性が高い。もちろん、血で血を洗うような職場でも生き残っていける能力のある人は、そこで精いっぱいのことをやればいい。

しかし、人には向き不向きがある。「適材適所」という言葉があるように、どんな才能を持っていても、それが発揮できるかどうかは環境次第だ。羽生結弦さんがいくら天才的なフィギュアスケート選手であっても、彼に「ラグビーの試合に出て点を取ってこい」と言うのはむちゃな話だろう。

今いる場所に不都合を感じたなら、そこから脱出して別の場所に移動しよう。脱出はなるべく速やかに行ったほうがいい。

「合わない環境」は人をダメにする

あまりにも長期にわたってストレスに晒された動物や人は、その環境から脱出するための努力ができなくなるという。東大卒には真面目で、努力家で、責任感の強い人が多い。そういう人は自分の特性とは合わない環境に気づいていながらも往々にして頑張りすぎて、手遅れになってしまう。本記事を読んでいる読者のまわりにも、そういう人はいるかもしれない。