その中で、衝撃を受けたのは、「コミュニケーションを学ぶ場の豊富さ」です。
子どものころから、プレゼン術などの手厚い教育を受けるアメリカ人ですが、学校以外の街中にも無数のワークショップやクラスがあり、まるでジムに行くように仕事帰りに気軽に寄って、「話し方」をモリモリと鍛えていたのです。
そうした場も、機会もほとんどない日本のみなさんに「学んだ世界水準の話し方スキルをお伝えしたい」と帰国後、「家庭教師」を始めたというわけです。
多くの人が、「自分は下手だから」「才能がないから」と諦めてしまっていますが、話し方の上手下手は「生まれつき」ではなく、「9割は環境によるもの」です。
一方で、これまで数多くのエリートの「話し方改造」に携わってきて、「プレゼンや話がうまくなる人となりづらい人」には一定の傾向があるように感じています。
具体的には、私が1000以上のエグゼクティブを指導してきて実感するのは、次の3つの「差」が成長のポテンシャルを大きく分けるようです。
「鉄は熱いうちに打て」。これは当たり前かもしれませんが、やはり年齢が若ければ若いほど、あっという間に上手になります。歳を重ねれば重ねるほど、自分のスタイルが染みついて、なかなか変えることができなくなるのです。
そういった意味で、「幼少時からのコミュニケーション教育」は非常に重要です。海外で堂々とプレゼンなどをする人はそれこそ、幼稚園のころから、そうした場に立ち続け、研鑽を積むわけです。
日本でも学校や企業内で、若いうちから、この分野の教育・研修に力を入れていく必要があるでしょう。
みなさんは「プライド」と言うと、ポジティブなイメージを持つかもしれませんが、じつはこの言葉、キリスト教の7つの大罪(Seven Deadly Sins)の1つだということをご存じですか。
プライドには「Authentic pride (正真正銘のプライド)」と「Hubristic pride(高慢なプライド)」があります。前者は「誇り」、後者は「おごり」と言い換えられるでしょうか。
つねに他人と自分を比較し、おごる人ほど、アドバイスをあまり素直に受け入れない傾向があり、本当の誇りをもつ人は、そうした相対評価をあまり気にしないからです。
体面を取り繕おうとか、カッコよく見せようという気持ちがない、ある種「オタク気質」の人のほうが圧倒的に変身しやすいということです。
最後の3つ目は、意外に思われるかもしれませんが、話し方に「自信がない人」ほど、「正しいスキル」を学べば上達しやすい、ということです。逆に「自信がある人」ほど上達しにくい傾向にあります。
「自分は話やプレゼンがうまい」と思い込んでいる人は、頑迷にそのやり方を変えようとはしません。
なまじ自信があるため、聞き手への気遣いがなく、ただ自分の話したい話を滔々としてしまうのです。
多少うまいとはいえ、じつはグローバルスタンダードには程遠いレベルで、満足してしまう。「自分をカッコよく見せたい」と相手が受け止められないような「剛速球」を投げがちです。
逆に「自分は恥ずかしがり屋だ、自信がない」という人ほど、人の気持ちを慮る気持ちが強いので、「正しい話し方の技法」を学べば、聞き手本位のキャッチボール(対話)を続けていくことができるようになりやすいのです。
「何とかしたい」「学びたい」と考える謙虚な気持ちが、成長のドライバーとなります。
「話し方」は完成形のない「道」のようなものです。その常識は時代とともに変わり続け、スキルも常にアップデートしていかなければなりません。
「自分はもう十分にできる」「もう学ぶものなどない」そう思った瞬間に、歩みは止まります。
たった2時間ほどのコーチングでまるで魔法にかけられたかのように、話し方が変わり、自信をまとうようになる。そうした人たちの姿を見て、「このスキルをもっと多くの方に伝えたい」……と思いを新たにし、秘伝のルールをまとめたのが、拙著『世界最高の話し方』になります。
「誰」でも、「いつから」でも、「どこから」でも学べ、あっという間に上達するのが「話し方」。その「黄金スキル」を手に入れて、ぜひ、みなさんの人生をもっと豊かに、生きやすいものにしてみてください。