「粘着カーペットクリーナーを部屋に置け」「絆創膏を置け」「乳液を置け」「湿布薬を置け」「シャンプーはこれじゃないとだめだ」
男性は事あるごとに、リクエストをしてきた。
「その度に彼の部屋に常備される品が増えていき、習慣化してしまったんですね。男性なのに、乳液なんか要るのかなと、僕なんか思ったりもするんですがね。そうやって、ホテル側が甘やかしてきた面もあります」
リクエストしたものと違う湿布薬が入っていただけでキレる。
「オレが使っている湿布薬はコレじゃねえ! わからないのか、おまえは! おまえはもういい!」
ホテルの従業員をおまえ呼ばわりして、召使いのように扱う。
「綿棒が足りないじゃないか。いますぐ、持って来い!」
あまりの横暴さに、新入社員が泣いてしまったこともある。
「彼のおかげで、2人辞めました。『あの人には会いたくない。私は金曜日から日曜日だったら勤めてもいいです。あの人のいないときに働きたいです』と言った女性社員もいたのですが、そういうわけにもいきませんからね」
時折、フロントでばったり会うと、「おう、コーヒーでも飲みに行こう」と、水原さんを誘ってくる。
「私は抜けられないんです」
「なんで、抜けられないんだよ!」
相手の都合などお構いなしで、自分の思い通りにならないと、どんどんエキサイトしてくる。
部屋の使い方にも問題がある。男性は毎日、バスルーム全体にガンガン水をかける。
「おかげで、いつもバスルームの扉の下から水が外に漏れて、タイルカーペットがびしょびしょになるんです。だから毎日、タイルカーペットを4枚くらい取り換える作業が必要になります」
水原さんは、やめてもらうようにお願いしたことがあるが、「バスルームが汚いから、オレがきれいにしてやっているのがわからないのか!」と、怒鳴られた。
「私が見たところでは、汚いとは思えないんですけどね」
枕が、いつもびしょびしょになっている。
「どうして、いつも濡れているのですか」と聞くと、「夏だから、汗をかくんだ」と答える。
「あれが汗だとすれば異常です。体がどこか悪いんじゃないかというレベルです。おそらく頭を洗ってから、ロクに髪を拭かずに、そのまま寝ているんじゃないかなと。気持ち悪くないのかなと不思議になるくらいですね」
最近では、「部屋で怒鳴っている声が聞こえる」と、他の宿泊客から騒音被害を訴える声も増えてきた。
「そのことを指摘すると、『オレの思い通りにならないから怒っているんだ!』と言うんですね。『こいつはダメだ! 辞めちまえ! おまえはクビだ!』と、私なんかも何度も言われました」
笑顔を絶やさない女子社員がいた。ある日、水原さんはたまたま彼女とすれ違ったとき、笑顔がなかったためにただならない気配を感じた。
「何、どうした?」
「実は例の方が、『ポットが汚い』と言うので、いま取り換えようとしているところです」
まもなくして、彼女がポットを抱えて戻ってきた。顔は一層曇っている。
「どうした?」
「今度は、コードが汚いと言われました」
よくよく聞くと、汚いのはコードそのものではなく、コードについている「お持ち帰り厳禁」と書かれたシールタグのことだった。重箱の隅をつつくようなクレームに、彼女は泣き出すのを必死に耐えているような表情を浮かべている。水原さんは決心した。
「これはもう、ダメだな。なんとか、この人を追い出すしかないと思いました」
しかし、旅館業法第5条では、宿泊拒否の禁止を謳っている。水原さんは弁護士、保健所などに相談した。
弁護士によると、東京都旅館業法施行条例第5条では宿泊を拒むことができる事由として、「宿泊者が他の宿泊者に著しく迷惑を及ぼす言動をしたとき」などの特例が認められていることが判明した。また、区の条例ではさらに踏み込んであり、「暴力的要求行為や合理的な範囲を超える負担を求められたとき」という表記もあった。