そこまで極端な言い方をしなくても、ある物事に対してどう思うかは自分が決めればいいのです。
「自分の軸」を持つためにまず必要なことは、社会やメディア、学校や親から植え付けられた次のような「理想像」に、自分が無意識にとらわれていることに気づくことです。
例えばこういうものです。
・男性は「弱み」を見せてはいけない。
・女性は若くなければいけない。
・もっと痩せなければいけない。
・やるからには成功しなければいけない。
・いつもいい成績をとらなければいけない。
これらはほんの一例ですが、このような自分の中の植え付けられた「理想像」に気がつくことが改善のための大きな一歩です。たいてい、こうした信念は、自分の中で自動的にどんどん発生していて、無意識に影響していることすら気がつきません。ですから、自分の言動を振り返って考える必要があります。そしてとらわれた考え方に気づき、書き直していくことが大事なのです。
「『いい人』のままでは、誰にも君のことを覚えてもらえないよ」。これは、私がオックスフォード大学を修了後、国連のニューヨーク本部で働いていたときに当時の上司に言われた言葉です。ここでいう「いい人」とは、相手との対立を恐れて、自分の本当の思いを殺してしまう人のことです。
いい人は無難な意見ばかりを口にするけれど、そんなものは国連では何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。彼にそう言われて私はかなりショックを受けましたが、「確かにその通りだ」とも思いました。大きな損もないように見えるけれどもその代わり得もしない、いわば「守りの姿勢」ではないかということでした。
なぜなら、「いい人」であることを演じることによって、自分の本当の意見や立場を表明する必要もないし、自分の意見がもしかしたら受け入れられなかったり、批判されるかもしれないという可能性を避けられる面があると思ったからです。
また、いい人でいることのもう1つの恐ろしい弊害は、いい人を演じ続けなければいけない義務感、そしてこうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。しかも、そんな人ほど実は心のなかで怒っているのです。
「自分はこんなに我慢しているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対して、常にイライラや不満をためているのです。自分の満足は「相手の反応次第」になってしまうからです。
当然ながら、他人の言動はコントロールできませんから、負のループは続いてしまいます。私が長年の海外生活を経て日本に帰国して驚いたのは、日本人の「受動攻撃性」の高さでした。
受動攻撃性とは、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、冷めてる、何も言わない、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で怒りや抗議を示すことを指します。
私は日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのだと思います。いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分の意見よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています。我慢し過ぎて自分の本当の気持ちややりたいことがわからなくなってしまいます。
そのため、やる気を失い無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです。
「いい人」になってしまう原因として、他人からの評価を気にしすぎることに一因があります。ですので、まずは他者評価ではなく、自己評価を重視しましょう。例えば、1カ月前や昨日の自分より成長できたかどうか、で判断してみてください。自己評価を積み上げていけば徐々に「いい人」を抜け出せるはずです。
私はオックスフォード大学大学院で学び、国連の行政官(社会統合支援担当)として、国連ニューヨーク本部PKO局、また南スーダンと東ティモールという二つの独立国の立ち上げ支援、和平合意の履行支援、元兵士の社会統合支援に従事しました。
そういった活動の中でも、最も求められているのは、形式的な言葉や流された意見よりも、「自分自身の体験や考え」であったのです。コロナ禍で、大量の情報があふれる中で、他人や世間からの情報に踊らされないためにも、大切な心得ではないでしょうか。