「ランキング好きな日本人」が生き辛い根本理由

ランキングに頼りすぎることによる弊害とは(写真:CORA/PIXTA)
日本人は「ランキング」が好きな傾向にある。例えば、偏差値、人気企業、芸能人のランキングなど。つい、ランキングに流されて自分の進路を決めたり、重要な判断を下したという人もいるのではないだろうか。
「ランキングがあれば、自分の頭で考えて判断しなくて済むが、そうした指標が妥当かどうか、または自分にとって役に立っているかどうかはまったく別の話だ」と『自分の軸で生きる練習』著者のコーチング・カウンセラーの大仲千華さんはいう。本稿では、同氏が「他人の指標や意見に流れないための考え方」を紹介する。

ランキングに流されてしまう日本人

就活、婚活、妊活、終活……「○○活」という言葉を見るたび、どう英訳したらいいのかと悩みます。これらは日本にしかない特有の言葉だからです。「○○活」という言葉には、ある1つのモデルが存在していて、それこそが正解であるというニュアンスがあります。

この「唯一無二の理想がある」という考え方は、日本人のランキング好きにも関係しているように思います。例えば、偏差値、人気企業、芸能人のランキングなどです。

そんな話をしていたら、テレビ番組のプロデューサーをしている友人が、こんな話をしてくれたことがあります。芸能人が神戸牛とオージービーフの2つを目隠しして味わい、どちらが高級かを当てる日本のテレビ番組の話です。

そして、彼はこう言いました。「おそらくあの番組は、アメリカでは人気が出ないと思う。だって、美味しいかまずいか決めるのは自分だから。仮に安いほうを美味しいと思っても、別に誰も気にしないから」。

人間は社会的な生き物なので、アメリカ人だってそれぞれの社会階層のカルチャーに従うでしょうし、ある社会階層では高級肉の味がわかる能力は珍重されるでしょう。ただ、ランキングがある限り、1つの指標に従った上下関係が生まれます。つまり「勝者」と「敗者」が作られるのです。

私たちの社会がある一定の指標を前提とする限り、その構造は変わりません。ランキングがあれば、自分の頭で考えて判断しなくて済みますから、人間はある種の「秩序」というか、一見もっともらしい理由にすがって安心したいのかもしれません。しかしながら、そうした指標が妥当かどうか、または自分にとって役に立っているかどうかはまったく別の話なのです。

ある1つの評価軸を信じることの弊害

アメリカやヨーロッパにも有名大学のランキングが存在しますが、それ以外の評価軸や選択肢がもっと存在します。日本人はよく自信がないと言われますが、それにもこのたった1つの評価軸を信じ、自分の評価を委ねてきたことが関係していると思います。

なぜなら、ある1つのモデルを理想にしていると、いつも何かが「足りない」からです。ある理想像のもとでは、私たちは常に「減点評価」の対象になります。すると自分の能力や努力が足りないという強迫観念に急き立てられ、いつまでたっても満たされることがありません。

しかも、SNSが広く普及している現代は成功者の華やかな生活が目に入りやすく、作られた理想像と自分を比較して、自信をなくしたり、焦燥感に悩まされたりしやすい環境にあります。なにより、残念なことに、自分に与えられた才能や経験を誰もが過小評価してしまいます。社会の評価軸に合わないというだけで、自分の持っている資質を強みだと思えないのです。

1つの指標や理想像に価値を見出し続ける限り、その構造は続きます。そこから解放されるためには、他人がつくった指標や理想を追うのではなく、「自分にとっての指標」「自分はこれでいい」と思える「自分の軸」を持つことです。それこそ、「美味しいかまずいかは、自分で決めればよい」というスタンスは1つの方向性です。