東大生から見た「地頭がいい人」の典型的な特徴

余談だが、私もまさにこの方法で多くの本を読んでいるので、十分に納得できる話だと感じた(そういう意味でも、決して選ばれた人にしかできないようなことではないのだ)。

ビジネス書には、要点にマーカーが引いてあるものが少なくない。マーカーが引いてある部分の周辺だけを読めば、おおよその内容をつかめるようになっているのである。同じことで、つまり頭のいい人は、マーカーを自分で勝手に引く「目」を持っているということだ。

みんなが見えていないポイントを見る

だとすれば、その「目」がなければ、いつまで経っても要約力は身につかないのだろうか? 答えはノーだ。なぜならその「目」は、「日常の解像度」を上げることで養えるものだからだ。

どうすればキーワードを見つける「目」を養えるのかと言えば、答えは単純明快。見るポイントを変えればいいのです。ものの見方1つで、いとも簡単に要約できるようになります。
これは比喩でもなんでもありません。本当に東大生は、みんなが見ないようなところを見て要約力を高めているのです。(72ページより)

歴史の教科書を例に考えてみよう。言うまでもなく受験生の多くは、本文を読んでテストに出そうなところにアタリをつけ、そこにマーカーを引いて勉強してるはずだ。だが、東大生の場合は違うのだというのである。

歴史の教科書には各章の冒頭に、「その時代の背景」がまとめられている。例えば、「古代ローマとは、こういう時代です」「江戸時代には、こんな背景があります」というように。それらは、試験に出るような事項ではない。しかし、東大生はそこを熟読するというのだ。

もちろんそれは歴史の教科書に限ったことではなく、すべての教科に当てはまる。教授の話を聞く前には「教授がどんな人か」を調べ、学問の勉強をする前に「その学問の生まれた経緯」を調べ、本を読む際には表紙や帯・目次を読んで、それがどういう本なのかを調べるのである。

具体的な内容に入る前に、「前提・背景」を調べるということだ。教授の話の中身や教科書の本文に入る前に、そこに至る以前の「上流」の部分を知ろうとするわけである。

東大生は、上流を見ることで本質に至る

例えば、ペリーが浦賀に来航した1853年という年を覚える場合、普通は語呂合わせを使ったり、何度も口に出してみたりするはずだ。

しかし、東大生は違います。
「1852年でも、1854年でもなく、なぜ1853年だったんだろうか? きっとそこには、理由があるはずだ」
というふうに、「1853年だった理由」を探そうとするのです。
すると、「1853年にペリーが来た」のは偶然ではなく、きちんと理由があることがわかります。(45~46ページより)

事実、1853年について調べてみると、ペリー来航の数カ月後に、ヨーロッパでクリミア戦争が起きていることがわかる。

当時、日本を開国させたいと思っていた国は少なくなかったはずだ。そして、そんな状況だからこそアメリカが、「ヨーロッパで緊張が高まっているいま(1853年)なら、他国に邪魔されずに日本を攻めることができるかもしれない」と考えたのではないかと推測することができるわけである。

またアメリカは1848年まで、日本に近い西海岸に領土を持っておらず、西海岸に到達したのは1848年のことだった。西海岸にアメリカ人が雪崩れ込んだのは1849年からで、そのためいまでも西海岸・サンフランシスコのフットボールチームには「フォーティーナイナーズ(49ers)」という名がつけられている。

サンフランシスコの人たちが「この土地の歴史は1849年から始まった」ということを誇りに思っているからこそ、その名が浸透しているのである。そして、そこから数年かけて日本に開国を迫る準備をし、クリミア戦争でヨーロッパ人が手出しできない状況下で日本に訪れたと推測できるのだ。