そういうどちら側の立場でもない中立の人がいて、お互いに対する感謝の念を呼び起こす、いい感じの言い方をしてくれると、世の中もっと潤滑に動くんじゃないでしょうか。それがこの人の仕事です。ただ、誰からお金もらうかは、わかんないんですけど。
なぜうまくいかないのか
それってつまり「持ち方が違う」みたいなことなんじゃないかしら、って話なんですけど。何かが思ったようにうまくできないとき、それはそもそもの持ち方がおかしいんじゃないか、大前提を疑うってことも大事だなと。
子どもがおはしを使うのが下手で、それでよくよく見たらやっぱり持ち方がおかしくて、もっと上の方で持たないからつかめないんだよ、みたいなことをよく言うんです。おはしもそうだし、何かしらうまくいかないってことは、持ち方がそもそもおかしいときのほうが多いんだろうなって、気がつきました。
そもそもの持ち方、とらえ方っていうのをちゃんと教えてくれる人さえいれば、結構いろんなところがうまくいくのかもしれません。
「サァ!今日も元気に顔色をうかがっていこっ!」
「サァ!今日も元気に顔色をうかがっていこっ!」
「おおー!」
って。これは、みんなで、朝1発目に気合いを入れるためのかけ声です。
もうこれ以上でもこれ以下でもない。社会人がやってることって、ほぼこれだけじゃないかとも思います。
肯定係
感謝係の次は、肯定係。そのままでいいのよ。大丈夫よ。しなくていいのよ。って、言ってくれる。あなたはいいのよ、そのままで、って。よく考えてみると、必要だったじゃないですか、やってよかったじゃないですか、それ、糧になってますよ、とか。
肯定係の方々はプロなので、「不要な肯定はしない」「甘やかしすぎない」ってのがポイントですね。すぐにでも来てほしいです。
必要なところだけじゃまなものをどける
大雪が降ったとき、みんなが使うところだけ、雪をどけるわけですね。そうすると、街で普段使ってるところだけが可視化される。っていうことは、この今、白い雪の残っている道のところは、実は普段なくてもいいのがわかる。
関東は、めったに雪が降りません。だからたまに積もると、急に社会が見える。若い家族の家の前は、早くから雪がどけられている。夕方まで雪が残ったままなのは、雪かきしたいけどできない家。1人暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんの家なんだっていうのも、わかる。雪がいろんなものを可視化させる。
反対側のお隣がいい人で、うちの雪かきもやっちゃうぐらいのパワーがあるとか、生き物としての強さもそういうときに出る。だから、雪の日は怖いんです。いろんなものが噴出するんで。
必要なところだけじゃまなものをどける、って。面白くないですか。世の中、みんな無意識にじゃまなものをどけながら生きてるわけです。それも最小限。たくさんどけるのは、大変だから。少ない労力で必要なところだけ、やる。でも、その人その人で、家々で最小限のエリアが違うわけですよ。車があれば、もっとどかさなきゃなんないとか。
人生においても、その人その人のじゃまなもの、雪に代わる何かそういうものがあるはずで、みんなやっぱり雪かき的なことを毎日やりながら生きてるんだろうなあって、思ったんです。
あの人は、何をどけて生きているのか。
普段何気なくどかしてるけど、どけたことを本人はわかってないかもしれない。
それを、雪みたいに見えるようにできないだろうか、って。