怒りっぽい人ほど「人生破綻リスクが高い」理由

「怒り」にとらわれた人間の未来は暗い。どうすれば怒りにとらわれず、心穏やかに暮らすことができるのか? その秘密は、日本人の多くが実践する「アレ」にあった(写真: NicolasMcComber/iStock)

「一瞬の怒り」が人生を破滅させることもある。たとえば、前のほうから歩道を横並びに歩く3人の高校生が……。「このままでは通れないじゃないか。なんてマナーのなってないガキだ!」とばかりに、こちらもズンズンと進んでいく。

距離を縮めても3人は道を譲る気配を見せない。そこでカッとなり強引に左端の小柄な少年の肩にぶつかり、転倒させてしまった。これで傷害事件成立である。

狭い道をふさぎ、対面する歩行者に譲ろうとしない高校生たちも問題だが、わざわざ肩をぶつけるほどのことではない。彼らが歩行マナーを改めようとしないのであれば、こちらが仕方なくガードレールを背に立ち、やり過ごす方法もあった。

怒っても「失うもの」のほうが大きい

怒りというものは「6秒待てば収まる」とされている。最近ではアンガーマネジメントとも呼ぶが、それを実践することがストレス社会ではますます重要になってきている。何しろ今の時代、外に出れば怒りたくなることばかりだ。

人が多くいる場所でマスクをつけない人、左側通行を無視して右側からこちらに向かってくる人、デレデレと手をつないで歩道橋の道をふさぐカップル、スーパーのレジ待ちの時になぜか距離を取らず背後についてくる人、スーパーの店員に些細なことが理由でくってかかる人……。

誰だってマナーの悪い人や、理不尽な行動を取る人に対して怒りを覚えるのは当然だ。しかし、その怒りを決して発散してはならない。理由は単純。怒りを発散するデメリット(逮捕・ケガ・解雇・社会的地位低下・訴訟など)と、メリット(一瞬だけスッキリする)が釣り合わないからだ。

怒りの感情をコントロールできるかどうかで、その後の人生は大きく変わる。私もかつてツイッターで常に怒りを表明していた。社会に怒り、クソリプを投げかける者に怒り、仕事で不遜な態度を取った人間を実名を挙げて怒ったりもしていた。

いちばん怒っていた時期は2014年頃だと思う。それ以後は怒る機会も減っていった。今では仕事でも実生活でもほとんど怒らない。なぜかといえば、他人のことがどうでもよくなったからである。

衝動的なものを除けば、「人が怒る理由」は関係性のある人をいさめる、間違いを正すなどがある。たとえば得意先の前で態度が悪い部下や、門限破りを繰り返すわが子、自分を気遣ってくれない恋人に怒ったことのある人も多いはず。

だが、私は他人がどう生きようとどうでもよくなってしまった。さらに最近、自身が経営する会社とは別の会社の看板を背負って活動するようになった。そのため、所属先を明かしてのツイッターなどのSNSの利用を禁じられている。

2019年7月以降、ツイッターでの発信のすべてを社員であるY嬢に委託し、その内容もイベントや、記事書いたよ、本が出るよ、といった告知のみにとどめている。

ツイッターは「怒りのふきだまり」

そのうちツイッターを再開する日も来ると思うが、多分もう以前のように怒ることはないだろう。というのも、ツイッターで怒り続けている人を見て、呆れてしまうことのほうが多くなったからだ。

ツイッターでは一度何かについて怒ると、それに対して反論したい人が意見をぶつけてきて衝突になる。すると当事者を取り巻くフォロワーや、意見の賛同者、反対者から怒りや揶揄・罵倒・誹謗中傷などが寄せられ、さらに衝突が激化。その後も意見を曲げなかったり、新たな怒りを表明し続ければ、毎日人の怒りにさらされ続ける歪んだ人生を送ることになる。