藤井七段に対して、前例のない特殊な形や、いわゆる奇襲戦法のような戦い方を挑まずに、研究が進行中の定跡型で戦う相手が多いのは、新奇な形で挑んでも藤井七段にじっくり考えて対応されてしまうと却ってまずいと思うからだろう。先例の多い流行形なら、ある程度までは互角の勝負ができる。詰将棋の解答力に表れる「絶対的な能力」は藤井七段の大きな魅力であり、同時に勝負の武器だ。
なお、詰将棋は単なる練習問題ではなくて、芸術的な評価の対象になる高度なパズルだ。藤井七段は解答だけでなく、作家としても素質を持っているらしい(内藤國雄九段、谷川浩司九段、のように)。将来発表するであろう、詰将棋作品にも期待が持てる。
⑤ AIと共存する棋士像
将棋というゲームにあって、現在、いわゆるAI(コンピューター・ソフトウェア)の方が人間の最高峰よりも強い。これ自体は仕方がない現実だし、嘆くべき問題ではない。例えば、トレーニングの相手としては、名人よりも強い相手がパソコンの中にいて、何時でも幾らでも練習相手になってくれるのだから、トッププレーヤーにとっては素晴らしい環境だ。
一方、人間同士で戦うプロ将棋にあって、AIとどう関わるかは難しい問題だ。プロ棋士の中にも、AIに答えを聞くような人もいれば、AI嫌いの棋士もいるようだ。
今は過渡期なのかも知れないが、藤井七段は、AIを研究と練習に上手く使っているようだ。AIが指摘するような新しい手に対する研究も進めながら、AIが使えない現実の対局にあって、研究の先の局面では、自分で考える能力を使って高勝率を挙げている。
⑥ 「華」のある棋譜
筆者はプロ棋士ではないので詳しい説明は出来ないが、藤井七段の将棋では、流れが美しくて、しばしば意表を突く派手な手が出る。いわゆる「華」のある将棋だ。
例えば、タイトル戦初登場となった渡辺明三冠との棋聖戦第一局を観ると、92手目に渡辺三冠に4六金と指されて藤井七段側の飛車と角のどちらかが次に取られる状況に陥ったが、藤井七段は何れもノータイム(1分以内に着手すると時間にカウントされない)で飛車を王手で捨てて数手進めている。
藤井七段の様子が「平然と」であったのかどうかは、現場を見ていないので分からないが、世俗的な大人の将棋ファンの心理としては「17歳の子供にこのように平然とされると嫌だろうなあ」という感じの進行だ。局面としては、藤井七段が僅かな優位を維持していたらしいのだが、素人には分からない。
そして、この将棋は、渡辺三冠が連続して16手も藤井七段の玉に王手を掛け続けて、最後には、藤井七段が王手を受けた手が同時に渡辺玉に対する王手となる派手な局面で終局となった。残りの考慮時間が少ない中でもお互いに藤井玉が詰まないことを分かっていての進行だったのだろうが、最後を劇的な形で締め括ることにしたのは、渡辺三冠が藤井七段の力量を認めているからだろう。
渡辺三冠は、現時点で実績的に現役最強の棋士(8つあるタイトルのうち3つ以上を持つのは渡辺三冠だけだ)だろうが、筆者の記憶では、早い時期から藤井七段がすでにトップレベルにあることを認めておられた。メンタルな要素の強いゲームで、相手をこんなに認めていいのかと、少々心配にも思うのだが、それだけ藤井七段が素晴らしいのだろう。
藤井七段の「凄い手」は、ネットで検索していただくと幾つも見つかるはずだ。符号で書くと、4四桂(対広瀬章人八段戦。朝日杯決勝)、7七飛成(対石田直裕五段戦。この手もノータイムだ)、2二銀成(対斎藤慎太郎七段戦)、など幾つもある。筆者が心底驚いたのは、対斎藤戦の2二銀成(その前の1一銀不成を含めて)だ。