多くの日本人にとって安定を手放すことは勇気のいることだろう。できることなら安定した職に就き、安定した収入を得て、安定した暮らしをしたい。だが、1度きりの人生、サラリーマン以外の道も試してみたい……。
43歳でそんな新境地に飛び込んだ人がいる。獅子目晃一氏。昨年3月、15年以上勤めていた医学部専門予備校の英語講師を辞め、ユーチューバーとして独立した。最大の“武器”は極端に短い足で知られる猫、マンチカンの親子8匹である。
獅子目氏が2010年に開設した猫動画「マンチカンズTV」では、猫の親子や兄弟が花瓶に入ったり、ゴキブリのおもちゃを追いかけたりという猫たちの何気ない場面を配信。チャンネル登録者数は約7万8000人に上る。
猫動画で食べていく、というのは斬新な試みに思えるが、実は独立1年で収入は「会社員時代を超えている」(獅子目氏)。話を聞いていくと、過去の経験を複数の収入源に変えている、獅子目氏の生き方が見えてきた。
埼玉県某所。2階建ての一戸建てに入ると、毛足の長い猫たちが次から次へと玄関まで迎えにやってくる。獅子目氏は現在、ここで猫8匹と暮らしている。父親猫「ティオ」を飼って1年ほどしてから、猫を本格的に飼うために家を購入したのだという。
幼少期に顔をひどく引っかかれた経験があることから、実は猫が大嫌いだった。が、あるきっかけから保護猫と暮らすようになり、この猫が人生を変えた。
「ものすごくおとなしくて、人懐こい猫で。寝るときも、ご飯を食べるときも必ず隣にいる。その子のおかげで猫に対する見方が180度変わった」
ある時、塾の教え子から「マンチカンってかわいいですよ」と聞き、なんとなく見に行ったブリーダー宅で父親猫と運命の出会いを果たした。当時はニコニコ動画をやっており、「かわいい猫ならバズるかも」と思って投稿したが反応はイマイチ。しばらくして、「見てもらうにはストーリーが必要」だと気がつき、猫に“妻”を迎えた。
翌年、3匹の子猫が生まれる。1匹だった猫が2匹になり、妊娠、出産という経過を動画にし、ユーチューブだけでなく、アメブロにも投稿していたことから、ブログ経由でじわじわとファンが拡大。さらに翌年にも家族が増え、現在の「8匹体制」になった。
当初は再生回数を増やしたいという思いから、「子猫の破壊力とハプニングを大事にしていた」(獅子目氏)。例えば、猫が風呂に浮かぶアヒルで遊んでいて湯船に落っこちてしまう映像は、1600万回再生を記録。ひたすらゴキブリのおもちゃで遊ぶ映像は、なぜかインドやインドネシアでウケた。今では「推し猫」がいるコアファンもいるという。
とはいえ、かわいい猫が複数いれば食べていけるほど、動画の世界は楽ではないだろう。獅子目氏がそれなりの「センス」を得たのには、塾講師以前の経歴が大きく影響している。
出身は鹿児島。幼い頃は奄美大島で暮らしたこともある。東京大学に進学してからは、4年間バンド活動に明け暮れ、理系ながらうっすらと「いつかは音楽やエンタメの世界で働きたい」と考えていた。それもあって卒業後は、サザンオールスターズなどを擁する芸能事務所アミューズに入社。「理系の東大卒なのに」と社内でも珍しがられた。
入社してすぐ、京都で発掘された新人バンドを育成し、デビューさせるプロジェクトを任される。もともと自身が音楽をやっていたこともあり、バンドメンバーと試行錯誤しながらプロモーションを考えた。この頃から路上ライブを撮影するなど、映像技術を身につけていったという。