「え! 父さんが救急車で運ばれた?」
岐阜県在住、30代の大森亮さん(仮名)は昨年、母親から突然の電話を受け、思わず大きな声を出した。長男である大森さんは、いずれは両親の面倒を見るつもりで、実家からそう遠くないところで暮らしている。時々行き来しているし、70代になったばかりの父親はまだ元気だと思っていたので、まさに青天の霹靂だった。
聞けば、前日に出先からの帰り道で、父親は突然目が見えにくくなり、帰宅してから病院を受診。病院ではCTを撮ったが、画像からはとくにおかしいところは見つからず、帰宅。しかしその翌朝、いつも起きてくる時間になっても父親が姿を見せないので、様子を見に行った母親が異変に気づき、救急車を呼んだのだ。
父親は、脳梗塞だった。前日に目が見えにくくなったのは、「虚血性脳梗塞(一過性脳虚血発作)」といって、症状が一時的に起こり、短時間で消失するタイプの脳梗塞だったため。CTに何も映らなかったのもそのせいだった。大森さんが急いで病院へ駆けつけると、「最初の1カ月は安定しないので、いつでも連絡が取れるようにしておいてください」と医師から言われる。
翌日から大森さんは、毎日病院へ通った。父親は寝たきり状態で、全介助が必要だった。食事やトイレは看護師さんがやってくれるが、人手不足なため、いつもいてくれるわけではない。のどが渇いたときや身体を起こしたいとき、布団をかけてほしいときなど、父親がしてほしいことをそばで聞き、母親と交代でサポートする。毎日朝10時から18時まで父親に付き添い、時には看護師に代わり、食事の介助もした。
「高熱が出たり、血圧が変動したり、正直急性期の頃は毎日生きた心地がしませんでした。でも、今まで育ててもらった恩返しや、親孝行ができるのは今しかないと思ったし、何より、自分が後悔したくないので、できる限りのことはしたいと思いました」
いても立ってもいられず、医師の言葉や検査結果はメモし、ネットで調べたり、本を買って勉強したりした結果、検査の数値を聞くと父親の今の状態がわかるように。しかしその反面、ハラハラすることも増えた。2カ月後、父親は左半身にマヒが残ってしまったため、リハビリ病院へ転院することが決まった。
大森さんは現在、30代の妻と未就学児の息子の3人暮らし。同じ職場で知り合った奥さんは、産後、産休・育休を経て、0才児から保育園に預け、仕事に復帰している。ところが、復帰して数カ月ほど経った頃、奥さんに会社から異動の打診があった。
「現在の事業所より少し遠くなりますが、自分の成長のためにも、絶対に受けたほうがいいと思いました。もちろん強制ではないですが、会社は妻が適任だと思って選んだわけですからチャンスです。私はどうしても受けさせてあげたかったし、時間に縛られない働き方をしてほしかった。だから『家事・育児はするから、受けなよ』と言ったんです」