はっきり言いましょう。
「大人の読解力は、読書量に比例するとは限らない」
ということです。
もちろん子どもの場合、たくさん本を読む子は国語の問題が解ける傾向にあります。それは、小さいときから本が好きで、活字に抵抗感がなく、読みなさいと言われなくても、本の虫になっている場合に適用できることなのです。
ですから、本は読まないし、国語も嫌いだったという人は、「たくさん読んではいけない」のです。 なぜなら、読み方を知らないため、読めば読むだけ、ますますできない自分が強化されていくことになるからです。
実は、筆者はまさにそのような経験を持っている1人です。20歳まで国語が大嫌いで、文章を読むことが面倒くさく、1冊も本を読まない人間だったのですが、それ以降、一念奮起し、年間100冊以上は読んでいました。しかし実は、大量の本を読んだところでほとんど身に付いていないという憂き目に遭ったのです。
ではそのような人はどうしたらいいでしょうか?
それは「精読」をすることです。
次の3つのポイントで「精読」を進めてください。
たくさんの種類の本を読まないことがコツです。本が好きでない人が、量をこなしてもまったく意味がありません。
評論とは「自分だったらどう考えるのか」「自分だったらどう行動するのか」というものです。つまり、「考える」ことをします。この「考える」ことができるかどうかが読解力の要なのですが、「考える」ことが行われないと、ただ「字づら」を追うだけの“作業”になることがあります。
しかし、「考えることが大切」と言われても、残念ながら「考える」の意味がわからない場合があります。「考えるとはどういうことを言うのですか?」と問われて答えられるでしょうか。多くの場合、「考えなさい」と言われても、ただ「悩んでいるだけ」だったりします。そこで、「考える」ために必要な代表的な次の2つの「問いかけ」を自分にされてみてください。
このワードを自分に問いかけると頭脳が動き出します。つまり「考える」状態ができると考えていいでしょう。大人の読解ができている人は、これが自然とできている人たちであると言ってよく、その結果、印象に残り、記憶に残り、さらに自分の一部にするのことができるのです。
本1冊から1つの情報が得られたら読んだ価値があると言われています。ですから、本にたくさん線を引いたり、付箋をたくさん貼ったりすることで満足して、何1つ実践できずに終わってしまうということが往々にしてあるのは、たくさんの情報を得ようと思いすぎている傾向にあるといえます。
そこで、次のようなことをしてみます。線を引いたり、付箋を貼ったりした中から、「やってみたいことを3つ以内に絞る」ということをします。やらなければならないことではなく、「やってみたいこと3つ以内」です。それを得るために本を読んだのだと思えばいいでしょう。そしてそれを実践してみます。これが本を読んだ価値なのです。
以上のような3つのポイントを押さえて本を読めば、大人の読解力がつくだけでなく、行動力もついていきます。
最後にもう一度言いますが、本が好きではない人が、たくさん本を読んで読解力を高めようと思うのではなく、「精読」によって自分の糧となる情報を獲得していくことにフォーカスしたほうがいいでしょう。
また、1日2時間読書するというように決めてもいいですが、そのように決めると2時間は“読まなければならない”と義務化が始まり、実際は無意味な”作業”に終わってしまう可能性もあります。
以上のことを参考にされて、読むことが楽しみになる読書をしてみてください。すると大人の読解力は自然と身に付いてくることでしょう。