自分で決めたことなのに、上司と約束したことなのに、なかなかその通りにできないことは誰だってある。ただ今時「モチベーション」という表現を使ってその言い訳はしない。若者にとって「モチベーション」は、「写メ」とか「ハナキン」と同じようなビジネス死語になりつつあるということなのだろう。
繰り返すが当たり前のことであっても、なかなか行動できないときはある。ただし「モチベーション」の意味を正しくとらえられないと、感謝の気持ちがなくなっていく。「当たり前」の反意語は「ありがたい」である。モチベーションばかりを口にしている人は、謙虚さがなくなっていく。「他責」の癖が抜けないのだ。
平成は確かに「モチベーション」が経営における重要課題だった。いまだに、「社員のモチベーションをどう上げていくか」を、経営課題に上げる企業もある。だが、そういう言葉を口にする人は、古い世代の人たちで、もう感度が鈍っていると言っていい。
ミレニアル世代や、さらにその下の世代は、デジタルネイティブで、物欲に乏しいという特徴がある。SNSによる情報発信や情報共有を活発に行い、社会問題への関心が高い。現在の30~40代と比べ、10~20代は、あまり「自分視点」で物事を考えない。「自分視点」より「他者視点」を持っているからだ。
若者たちは、自分がどうしたいかではなく、所属するチームがどうしたいのか、今の社会はなにを求めているのかを意識している。「君はなにをやりたいのか?」と質問する上司に対し、「部長はどうしたいのですか?」と聞きたい世代なのだ。部長や社長が目指したい先(ゴール)があり、それに共感するならついていく。
自分は何をやりたいのかと自問自答を繰り返し、迷い続けた平成の時代は終わった。令和の時代になって「モチベーション」は、別の言葉に取って代わられた印象がある。その言葉とは、「エンゲージメント」だ。この言葉には、絆や愛着心という意味がある。
昨年のラグビーワールドカップ(W杯)が、最高にわかりやすい例だ。自分のためではなく、どんなに傷ついても立ち上がり、仲間のために汗をかくラガーたち。私たちは、彼らが目指すゴールに強く共感した。声を張り上げて応援した。私たちが関心を向けたのは、自分がなにをしたいかではなく、彼らがなにをしたいのか、であったのだ。2019年の流行語大賞が、見事に「ONE TEAM(ワンチーム)」になったのは、当然だろう。
これからの企業は、社会視点のゴールを明確に決めるべきだ。そして、そのゴール実現を一緒に目指してくれる仲間(人手などと表現しないほうがいい)を採用し、共に進むべきだ。
たとえ傷ついても、前に進むのだ。そうすれば組織エンゲージメントは、確実に高まるだろう。令和の時代に、まだ「モチベーション」などと口にし、自分の内側に「動機づけ」を探している人の末路は、もうわかるはずだ。もっと視座を高め、目線を社会に向けるべき時代がやってきた。