「すごい人」と知り合いたがる輩に欠けた視点

世の中には、たしかに頭のいい人、切れ者と言われるような人もたくさんいます。しかし、そうした頭の能力の違いは、あるとしても誤差、しょせんは同じ人間です。

大切なのは「どう役に立てるか」

それよりも大事なことは、役に立ちたい相手に対してどれだけ思いを馳せられるか。もっと言えば、そのマーケットに対して、そして社会に対して、どうすれば役に立てるかを考えること。そのために、謙虚な姿勢でコミュニケーションをとることが大切です。

いい仕事をするためだけでなく、自分が成長していく上でも、他者とのコミュニケーションは欠かせません。前に書いたように、私は、決して人付き合い自体が大好きなわけではないし、常に人と接していないとダメというタイプでもありません。

しかし、人とのコミュニケーションによって自分が成長できるし、たくさんコミュニケーションをとることで、世の中の幸せの総量が少しだけ増していくと感じています。

自分が成長するためには他の人の力を借りないわけにはいきません。みんなで話すことによって、何か生まれてくるものがあるはずです。要するに、これは「共同体の感覚」ということなのだと思います。

人と話すとき、私はプライベートの話題について話すのは、それほど得意ではありませんでした。社会人になった当初は、飲み会も逃げ回っていました。けれども、仕事の話だったら共通点があるから話せるな、と感じてからは、飲み会や勉強会のときに、人とじっくり話すことができるようになっていきました。

これも、「自分の成長のためには人とコミュニケーションをとることが必要」という意識があったからだと思います。もちろん、自分だけ成長できればいいというわけではありません。お互いに成長し合えるコミュニケーションが理想です。

そして、私は誰と話しても、誰の話を聞いても、素直に「すごいな」とリスペクトします。なぜなら、相手は自分にはない経験や知見を必ず持っているから。だからこそ反対に、自分が持っている経験や知見を相手にギブすることもできると感じています。

「あの人はすごい」という見方はやめたほうがいい

最近気になるのが、一部の若いビジネスパーソンに見られる「すごい人に会いたい」「有名な人とつながりたい」といった姿勢です。もっと言うと、誰か「すごい人」と知り合いになれれば、自分を引っ張り上げてもらえるかも、と勝手に思っている人です。または、「すごい人」と知り合いというだけで、自分が「すごくなった」と勘違いする人。

たしかに、「すごい人」や有名人と知り合いになりたいという感情自体は、とてもよくわかります。ありがたいことに、私でさえ「伊藤さんと話してみたい」と思ってくれる人はいます。もちろん大歓迎です。名刺交換をしたいという人がいれば喜んでするし、お会いした方とは、SNSの友達申請にも応えます。

ただ、1つだけ気をつけたほうがいいなと思うことがあります。それは、「あの人はすごい」「自分より圧倒的に優れている」といった見方をするのはやめたほうがいい、ということです。

「たしかにあなたはすごいけど、私は私なりの考えを持っている」「あなたは成功していて、有名かもしれないが、私にも好きなこと、得意なことがある」。そういうフラットな姿勢で人と接することを忘れないでほしいのです。

なぜなら、そうでないと、コミュニケーションがお互いの成長につながらないからです。そして、相手を勝手に「すごい人」と思うことは、それ以外の人を「すごくない人」と無意識に思ってしまうことにもつながるからです。

「すごい人」と知り合いだということを鼻にかけても、自分の力はまったく変わりません。周囲からはすぐ見透かされます。「すごい人」にコバンザメのようにくっついていけば、自分にとってはメリットがあるかもしれません。では、相手にとってのあなたの価値は何ですか?