人間には、「自分の人生は自分でコントロールしている」と感じたい本能が備わっている。しかし、近年の科学的考察によって、事実はその真逆であると示されていることをご存じだろうか。
誰もが経験ある「ダイエット」をみてみよう。
世界中でかなり多くの人がやせようと努力を重ねているが、体重はむしろ増加傾向にあり、複数の医療専門家の予測によれば、2025年までに地球上の人口の半数以上が肥満になるという。悲しいことに、一生懸命頑張っている人ほど、体重を減らすのに苦労している。
世界的な肥満の問題は、「遺伝」「性格」「意志の弱さ」「悪習慣」などの説明がつけられているが、肥満が伝染病のように蔓延しているのは、これらが原因ではない。すべて、個人を取り巻く「環境」や「状況」といった外的要素が引き起こしているのだ。
ここで、科学的な「意志力」の定義を確認したい。意志力とは、「内的または外的な障害に反して自由意志を発揮する力」とされ、心理学の研究では「筋肉」のようなものとされている。
つまり、有限なリソースであり、使用とともに消耗していくのが「意志力」であり、骨の折れるような忙しい1日が終わる頃には意志力という筋肉は疲弊し、夜中のつまみ食いをしないよう自分を律する力は残されていないというわけだ。
最近では、この意志力が心理学の世界で頻繁に取り上げられているが、その研究はかなり強引に進められている。従来の意志力論は、あくまでいち個人にフォーカスした「心理学」という視点からしか考察されておらず、朝目覚めるとスマートフォンに夢中にならざるをえない現代では通用しない机上論と言わざるを得ない。
例えば、意志力が働かない「典型例」とされる依存症の専門家アーノルド・M・ウォシュトン博士は、「依存症患者には意志力が必要だと考える人が多いが、それは真実にはほど遠い」と述べている。
そもそも、その人の思考や行動の土台となる世界観や信念、価値観は、その人の内側から湧いてくるものではなく、「外からやってきた」ものだ。
1950年代にアメリカ南部で育った白人であれば、その世界観はその視点から形作られたものだろう。中世ヨーロッパで育った人であれ、共産主義の北朝鮮に生まれた人であれ、もしくはデジタルネイティブとして2005年に生まれた人であれ同じことが言える。
つまり、人の内的環境は、「暮らしている文化的背景」によって形成されるのだ。この背景には、人間の高い順応性がある。
オーストリアに生まれたユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルが、ナチスの強制収容所での経験を振り返って、「人はどんなことにも慣れてしまう。どうしてかはわからないが」という言葉を残している。彼が振り返ったのは、1台の小さなベッドに10人が一緒に、しかし快適に寝ていたという経験だ。
最近の心理学の調査でも、テレビで下品な内容、暴力、セックスに頻繁に触れていると、多くの人はそうしたものに耐性ができることが判明している。すぐに感覚が鈍り、「慣れて」しまうのだ。