2022年2月のロシアのウクライナ侵攻は、ロシアにエネルギー輸入を大きく依存していたドイツに冷水を浴びせた。ドイツ連邦系統規制庁によると21年にドイツが輸入した天然ガスのうち、約52%がロシアから輸入されていた。だがロシアは22年8月に、海底パイプライン・ノルドストリーム1を通じたドイツなど西欧諸国への天然ガスの供給を停止した。
1973年以来、ソ連から天然ガスの供給を受け、「ロシア人がエネルギーを政治的武器として使うことはあり得ない」と信じてきたドイツの先入観は打ち砕かれた。
天然ガスの供給停止は、ドイツ社会を混乱に陥れた。天然ガスの卸売価格は、2022年8月に一時1メガワット時(MWh)あたり300ユーロを超えた。ロシア・ウクライナ戦争前の約7倍だ。天然ガス卸売価格の高騰は、電力の卸売価格にも飛び火した。22年秋、ミュンヘンの地域エネルギー供給会社SWMは、顧客に「23年1月1日から、電力と天然ガスの価格をこれまでの2倍に引き上げる」と通告した。これはSWMから天然ガスと電力を買っていた顧客の年間料金が、2661ユーロ(45万2370円・1ユーロ=170円換算)から、5360ユーロ(91万1200円)に増えることを意味した。
政府が23年1月から、補助金を投じて激変緩和措置を実施したため、実際には天然ガスや電力料金の値上げ幅は2倍にならなかった。それでも22年秋には、多くの市民が「料金を払えなくなり、天然ガスや電力を止められるのではないか」という強い不安を抱いた。
22年には各地の消費者センターで、天然ガス・電力料金に関する市民の問い合わせが急増した。ベルリンの消費者センターでエネルギー問題を担当していた相談員は、「天然ガス代の毎月の事前支払額を突然100ユーロ(1万7000円)から600ユーロ(10万2000円)に引き上げられた人もいた」と語る。10代の息子を持つシングルマザーは、「これまでは息子が時々友達と外食したり旅行に行ったりできるように小遣いを与えていたが、天然ガス料金が引き上げられたら、小遣いも与えられない」と言い、窓口で泣き出した。
産業界への打撃も大きかった。化学や金属加工、ガラス、セメント、製紙メーカーの中には生産量を減らしたり、生産を停止したりする企業が現れた。バイエルン州のある浴槽メーカーは、電力会社から「料金を12.7倍に引き上げる」と通告された。デュッセルドルフに本社を持つ製紙会社は、天然ガス価格の高騰が原因で倒産した。
エネルギー価格の高騰は、ドイツの22年の消費者物価上昇率を6.9%、23年に5.9%に押し上げた。インフレのために国内消費や工業生産が低迷し、23年のドイツの実質国内総生産(GDP)成長率は、主要7カ国(G7)で最低のマイナス0.3%に落ち込んだ。
ドイツはロシアから割安の天然資源を輸入し、高級車や工作機械など高付加価値の製品を輸出して国富を増やしてきた。だがこのビジネスモデルには、ロシアのウクライナ侵攻によって終止符が打たれた。ドイツの産業用電力の価格は、米国の約2.5倍だ。ドイツの製造企業の間では、天然ガス・電力価格の高さを嫌い、米国や東欧に生産拠点を移す企業が増えている。競争力低下と、製造業の空洞化が現実化しつつある。
大半のドイツ市民は、「電力と天然ガスは好きな時にいくらでも使える」と思い込んでいた。しかし、22年のエネルギー危機によって、彼らは電力や天然ガスが高騰し不足する危険があることを学んだ。
ドイツ人たちはこの教訓に基づき、政策を変えた。一つはエネルギー調達先の多角化だ。ドイツ政府は、ロシアのような非民主主義国家、強権国家からのエネルギー輸入を避け、欧州連合(EU)が重視する普遍的な価値を共有する国からの輸入を増やした。EUが重んじる普遍的価値とは、議会制民主主義、人権尊重、言論の自由、差別の禁止などだ。23年にはロシアからの直接の輸入量はゼロになり、ノルウェー(43.4%)、オランダ(25.8%)などが主な供給先となった。石炭、原油についても同様の措置を取った。
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