2021東京ヤクルトスワローズ 高津流 燕マネジメント

チーム全員が一丸となって必死に戦っている
だから「絶対に勝たせてあげたい」

人事を尽くして、時の運に委ねる

――奥川選手同様、村上選手についてもずっと「10年後、20年後を見据えている」と話していましたね。順調な成長曲線、育成段階を経ている手応えはありますか?

高津 何年後になるかはわからないけど、何年後かに「あのときの育成方針は正しかったんだな」と思える日が来ると信じて我々は彼らと接しています。あの清原和博さんの記録を抜いて、史上最年少で通算100号を達成したのは本当にすごいことだと思います。でも、今の彼が清原さんだけでなく、松井秀喜、金本知憲、落合博満さんのような「日本を代表する四番打者」かと言えば、まだまだそんなレベルじゃない。実際、オリンピックでも八番打者としての起用でした。村上が「日本の四番」となる日を楽しみにしています。

――現在は巨人、阪神との6連戦の真っ只中です。勝負の決め手となるのは何だと、監督はお考えでしょうか?

高津 時の運でしょうね。

――前回のこの連載でもご紹介した、1993(平成5)年日本シリーズ第7戦の試合前に野村克也監督が口にした「ここまで来たら、あとは時の運だ」という発言ですね。

高津 最初に言ったように、我々は万全の準備をして目の前の戦いに全力で臨むだけ。優勝争いという土俵に上がることを許された幸福感を忘れずに戦うだけです。

――先ほど話題に出た奥川、村上両選手のような若手の躍動の一方で、前回2015年の優勝を知る石川雅規、小川泰弘、石山泰稚投手、山田哲人、川端慎吾選手らの「経験」も大切な要素になってくると思います。

高津 確かに、一度経験しているということは非常に大きな強みになります。経験していないよりも、していた方が心を落ち着けることもできますから。ただ、僕の経験で言えば何回経験してみても、興奮度合いも緊張感も、毎回感じ方は違うんです。これは何度優勝を経験してもそうでしたね。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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