2021東京ヤクルトスワローズ 高津流 燕マネジメント

侍Jの雄姿が、高津監督にもたらしたもの
山田・村上・マクガフは本当に素晴らしかった

盟友・稲葉篤紀監督について

――さて、侍ジャパンの全5戦ですが、監督はすべてご覧になったんですか?

高津 もちろんです。あるときは自宅で、あるときは遠征先のホテルで、いずれにしてもじっくりとテレビ観戦しました。

――ヤクルト時代のチームメイトである稲葉篤紀監督について、どのようにご覧になっていましたか?

高津 侍ジャパンの監督に就任したときの最終目標は、もちろん「東京オリンピックで金メダルを獲得する」ということだったと思います。そこで、長い時間をかけていろいろなプランニングをして、選手、コーチを含めた人選をして、12球団と緊密な連携を取って、しっかりとしたマネジメントの下、いいチームを作ったんだろうなと思いますね。もちろん、最後は選手がよく頑張ったけど、監督としてすばらしいマネジメント力を発揮したと思います。

――現役時代をともに過ごしたチームメイトとして、稲葉監督はどんな方なんですか?

高津 人間的に優しいというのが大きな特徴だと思いますね。稲葉のことを悪く言う人は一人もいないですからね。選手としては、負けん気を全面に出したり、積極的に声を出したりするタイプではなくて、周りをじっくりと観察しながら、「自分は何をすべきか、どうすべきか?」考えるタイプだった気がします。

――指導者経験がないまま、いきなり侍ジャパンの監督になるということは、相当なプレッシャーだったと思います。

高津 そうでしょうね。キャンプ中やシーズン中に稲葉監督が視察に来たとき、僕もじっくり話をしました。普通にしゃべっているときは以前通りなんだけど、ちょっと深い話をするときにはやっぱり、目つきが変わるというのか、話し方が変わりましたね。そこには緊張感やプレッシャーのようなものがあって、「いろいろな感情を持っているんだろうな」と感じたことは覚えています。

――監督からは稲葉さんに何か声をかけたんですか?

高津 僕から言ったのは、「哲人もムネも、どんな使い方でもいいから自由に使って下さい」ということですね。結果的に大会本番ではDHだったり、8番打者であったり、普段とは違う起用法だったけど、彼らにとっても、いい経験になったんじゃないのかなって思いますね。

ご感想はこちら

プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
出版をご希望の方へ

公式連載