巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
天保(1830~1844年)の末期に出現した大道芸、あるいは物乞いの一種。一見、若い男が老人を背負っているように見えるが、若い男のほうはハリボテの人形。老人に扮した男が、胸元に若い男の人形を吊り、自分を背負っているように見せているのだ。そして、「親孝行でござい~」と言って街を巡り、銭を乞うた。江戸時代の物乞いはやたらとシュール系が多いが、これはその最上級と断言しても過言ではないだろう。「だから何?」このひと言に尽きる。来客と思って戸を開けたら、目の前にジジイのコスプレとハリボテ(男前)が立っているのである。現代であれば、これはもう即通報されても仕方のないレベルだ。銃社会の国であれば「親孝行でござい」と言い切る前にショットガンの2~3発は頂戴していてもおかしくない。しかし、幸運なことに江戸っ子のマインドは洒落っ気があった。今では想像しにくいが、存外そこそこの実入りがあったようなのだ。
それを裏付けるような、意外な資料が残っている。同時期の江戸に、樽のハリボテを背負ったり、大だらいのハリボテを抱えるようにして歩いた銭乞いがいたのだ。驚愕の親孝行フォロワー登場である。我々の江戸史観の根幹を揺るがしかねないトレンドだ。だが、よくよく調べてみると、この頃の日本は老中水野忠邦(みずのただくに)による天保の改革の真っ最中。幕政の再建を図るとともに風俗も厳しく矯正されたという。締め付けが厳しければ厳しいほどその反動も大きいわけであり、親孝行一派はそのアンチテーゼとして生まれた反動芸術のようなものだったのかも知れない。んなわけないか。
(illustration:斉藤剛史)