巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
「○○とかけまして、○○と解く。その心は……」という掛け合いは、現代でも大喜利などを通じてお馴染みである。明和7年(1770年)には、これを職業にしている『謎解き』なる人たちがいた。客に出題させて、それをうまいこと解いてみせるのだ。この商売の元祖は弥太坊主という人物で、シンキングタイムに木魚をポクポク叩くのがお馴染みのパフォーマンスだった。これがどうやら“とんちの一休さん”の木魚音の元ネタのようだ。
この流行に追随したのが、春雪という盲目の男だった。どんな謎でも春の雪のごとくサッと解いてみせる、というのが名前の由来だ。実際その実力は高かったようで、例えば“晦日(みそか)の月”というお題には「まじめな息子と解く。その心は、ついぞ出たことがない」と答えた。晦日の月というのはあり得ないことの比喩であるから、なるほどシャレが利いている。謎が解けなかった際は脇に置いた米俵や炭俵、菓子折りなどから好きなものをひとつ貰っていいシステムだったが、ついにそれが減ることはなかったという。
春雪の謎解きは次第に人気を呼び、20問を1回として興行するまでになった。しかし、人気のあまり天狗様になってしまったらしく、観覧料を1.5倍に値上げするわ、エロとんちを連発するわとやりたい放題になった。それでも客は入り続けたというから大したものだが、落語家の初代三笑亭可楽(さんしょうていからく)が高座で謎解きを始めると、次第にそちらに客を取られるようになってしまった。エロとんちを支持するインディーズ気質な客層はおれど、ファミリーで楽しむにはやはり不適だったようだ。
(illustration:斉藤剛史)