「周囲から相手にされていない」「冷たい目で見られている」と感じ、気を病んでしまうことはないでしょうか。なんだか自分だけが、周りからおいてきぼりにされているような感覚におそわれ、世の中が自分に冷たいと思ってしまう方もおられると思います。
言葉、習慣、文化、流行など、社会の急激な変化の流れになかなかついていけないということで、違和感を覚えたり、悔しい思い、辛い思いをしているという方も少なくないのではないでしょうか。
自分が世の中から取り残されたという気分は、本当に悲しく、孤独感を持ってしまうものでしょう。すると、すべてが悲観的に見えてしまうと思います。しかし、そんな暗い気分を和らげるのに役立つ考え方があります。
先述のように、「世の中が自分に冷たい」と感じてしまう理由を考えてみると、人それぞれ理由は異なると思いますが、共通して言えるとこととして、世の中の流れについていけない自分の姿があると思います。
一般的には、人は数の多い方や勢のある方向へ押し流されたり、自然と向いてしまうものです。しかし、その流れに乗れない場合、独りぼっちになったように感じてしまうことでしょう。
その結果、「自分は悪くない」「周囲から蔑(ないがし)ろにされている」という自分を保護するような考え方がはたらき、悩みの種の矛先を周囲に向けてしまってはいませんか? 人によっては、周囲の人に敵対心を持ってしまうようなこともあるかもしれません。
心情は人それぞれだと思いますが、必ずしも否定的に捉えることはないと思います。なぜならば、発想の転換によって、別の自分の姿が見えてくるからです。
それは、世の中の流れに「ついていけない」のではなく、実は自ら「ついていかない」ということです。つまり、「世の中が自分に冷たいと感じる」のは、自分が意図的に距離をとっているということです。
世の中の流れというものは、誰がどうやってつくったのかもよくわからない、得体の知れないものです。そのようなものにわざわざ無理して便乗する必要はないのではないでしょう。
よく観察してみると、世の中の流れの中にあるようものは、自分にとって不必要なものや無関係のものがほとんどではないでしょうか。
これはある意味、世の中が自分に冷たいのではなく、自分が世の中に冷たくしているのです。これは「自分は自分である」という自律した自覚の表れとも言えるでしょう。
この自覚の大切さを説く教えがあります。
仏教に「自己こそ自分の主である」という言葉があります。実際は次のような詩節の一部です。
自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。『ダンマパダ』(『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)
これは、周囲の影響に左右されない自分という名の土台をしっかりと築くことを説いた教えです。土台がなければ、物事は脆(もろ)く、いとも簡単に崩れてしまいます。
同じように、どんな状況にあろうとも、見失わない自分という土台をしっかり持つことで、本当に大切なものを受け取ることができるということを意味しています。