このような状態に陥らないためにも、心掛けておきたい教えがあります。それは、お釈迦さまの「琴弦の喩え(きんげんのたとえ)」の教えの中に言及されています。
「琴の弦が、張りつめても緩すぎても、いい音は出ないように、さとりを得る道もこれと同じく、怠れば道を得られず、またあまり張りつめて努力しても、決して道は得られない。だから、人はその努力についても、よくその程度を考えなければならない」(『仏教聖典』)
つまり、何をするにも適度な緊張と緩みの「丁度よい加減」が必要ということです。
「他人の目」を利用して自分に自信を持てるように心掛けるにしても、周りからのすべての声に対応することは不可能なことです。難しいこともたくさんあります。
かといって、すべての声を遮断してしまえば、これまでと何もかわりません。自分にできそうなこと、もしくはちょっと背伸びして努力すればできることに対応してみる。
このような心持ちが大切なのだと思います。これが「丁度よい加減」というものではないでしょうか。
そして、もう一つ忘れてはならないことがあります。それは、何事にも評価というものは付きものですが、評価はいつも後から付いてくるものということです。評価は結果なのであって、目的ではないということを再認識する必要があります。
「他人の目」を意識し、物事に取り組む姿勢は素晴らしいことですが、「一目置かれたい」「優越感を手に入れたい」というような周りからの評価を目的にした場合、それは打算的なものとなり、その意図は不思議と嫌なふうに伝わってしまいます。
このような事態を避けるには、「自分に必要なこと」「自分で納得できること」を行動に移すことを心掛けてみて下さい。その結果、予期せぬ評価や成果も生まれてくると思います。
周りに振り回されてしまっては、誰のための人生なのかわからなくなってしまいます。人生において、感動や幸せを感じるのは他人ではなく自分自身です。誰のための人生なのか再確認することも大切だと思います。
その上で、「他人の目」を利用するという考え方を生活に取り入れてみて下さい。
次回に続く