普段、私たちは当然のように食事をしていますが、食事の前に手を合わせて「いただきます」と口にされている方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか。
食前の「いただきます」の「いただく」は、「食べ物をいただく」「食べ物を作ってくれた人や運んできてくれた人に感謝する」と理解されている方が多いと思いますが、さらに深く掘り下げると、食べ物に含まれる「いのち」を「いただく」という意味になります。すべての食べ物には「いのち」があります。つまり、食べ物自体もさまざまな「いのち」の集合体なのです。私たちは、ただ食べ物という物質を口の中にいれているわけではありません。他の生き物の「いのち」を口に入れ、生きる力とさせていただいているのです。
例えば、お米一粒にしても、無数のいのちの結びつきの中で生まれた「いのち」の集合体です。私たちが普段食すご飯は、炊飯器で炊かれて食卓に運ばれてきますが、その過程には無数の「いのち」が存在します。まずご飯を炊くには水が必要です。その水の中には細菌という「いのち」もいることでしょう。また、そもそもお米が集荷される前には、稲は田んぼの水や地中のさまざまな栄養を吸収して育ちますが、それらもすべて他の「いのち」を吸収していることになります。
つまり、私たちは食事をしているとき、たくさんの「いのち」の集合体を摂取しているということになるのです。別の言い方をすれば、私たちは、他の「いのち」の犠牲なくしては生きていけないのです。これは、人間だけではありません。この地球上に生きるものはすべて同じです。
このことを本当に理解したとき、生まれてくるのは、お姉ちゃんのような「かわいそう」という言葉の根底にある、他の「いのち」を搾取してしまうことへの懺悔(ざんげ)です。そして、私たちは「生きている」のではなく、「生かされている」ことに対して感謝すべきなのです。
私たちは、多くの「いのち」と繋がって生かされているという事実をしっかりと受け止めなければなりません。これが一人で生きているのではないという意識と共に、温かい気持ちを持つことにつながります。その結果、本当に自分にとって必要なものと、必要でないものとの区別ができるようになり、我欲(がよく)をコントロールできるようになるでしょう。実は私たち人間の苦しみの原因は、何事にも不満を持ってしまう心です。この原因をきちんと把握し、小さなことでも満足できるようになれば、苦しみは軽減していくものです。
まずは食事をする前に、必ず「いただきます」という言葉を口にすることを、意識的に実践してみることから始めてみましょう。きっと、誰しもが幼い頃に少なからず持っていた、お姉ちゃんのような他の「いのち」への気持ちを思い出すことにもつながるかもしれません。