昔、アメリカのカリフォルニア州バークレーという街で研究と英語漬けの学生生活をしていた時、私には唯一の楽しみがありました。それは、毎週土曜日の夜に放送されていた日本のドラマを観ることでした。すでに日本で放送され終わってから2年は経過したドラマでしたが、私にとっては肩の力を抜いて過ごせる唯一のリラックスタイムでした。当時、『世界の中心で愛を叫ぶ』というドラマが放送されており、英語のサブタイトルも付いていたので、アメリカ人の友人と寮にあるテレビにかじり付いて観ていました。
このドラマのあるシーンで、母親役である女性が息子役の主人公の青年に「じいちゃんと相談しなさい」と伝え、息子は仏壇の前に座ってお焼香をし、合掌しながら、亡くなったおじいさんと会話するかのように、悩みを語りかけるというシーンがありました。私はごく自然なことだと思い、何気なく観ていました。すると、ドラマが終わった後、一緒に観ていた友人がそのシーンだけがまったく理解できなかったと言いはじめたのです。
彼の質問は、二つありました。一つは、ドラマの青年を含め、日本人はさまざまな場面でよく掌を合わせる動作をするのはなぜなのか? もう一つは、なぜ掌を合わせながら仏壇を通して亡くなった方と話すことができるのか、ということでした。洞察力に富んだおもしろい質問をするなと、私は感心したのを覚えています。
元来、合掌とは、インド古来の礼法で、仏教徒が顔や胸の前で両手の掌や指を合わせて、仏(釈尊)さまや菩薩(悟りを求め、また衆生を救うために多くの修行を重ねる者)さまなどを拝むことを意味しましたが、仏教を通じて日本に持ち込まれたと考えられています。アジア諸国では挨拶の習慣として合掌することもあります。
日本には、何気なく手を合わせる習慣があります。お寺や神社に参拝するときの合掌は、インド元来の合掌の意味と同じだといえるでしょう。しかし、亡き人に向けた合掌、食前の「いただきます」と食後の「ごちそうさま」の合掌、誰かに「ありがとう」とお礼を伝えるときの合掌、誰かに「ごめん」と謝るときの合掌、誰かに「お願い!!」と何か頼み事をする時の合掌などは、日本独自の合掌のように感じられます。(ちなみに、日本では僧侶同士の挨拶の時にも合掌することがあります。)
注:ここでは日本人が何気ない習慣として手を合わせる場合に「手」、仏教的な意味を含んで出を合わせる場合に「掌」という漢字を使用しています。